新着情報(令和7(2025)年8月)
【Vol.106】8月22日の峰台 おやじ組主催の花火イベント「峰っ子 花火の夜」
令和7(2025)年8月22日
峰台小学校おやじ組主催の花火大会が行われました。花火を楽しめる場所が少なく、やりたくてもできないという現状から、令和6年の8月に第1回目が開催され、今夏が2回目。おやじ組の皆様が準備を進める中、続々と峰っ子たち、保護者の方々等が来場してきました。
前半は、それぞれが持ち寄った手持ちの花火を楽しむ時間。校庭のいたるところにキャンドルとバケツがあって、持ち寄った花火に次々に火をつけて楽しむ峰っ子たちでした。
昼間には、見ることのできない幻想的な色に包まれた峰台でした。
後半は、おやじ組の皆様が準備してくださった打ち上げ花火を鑑賞して楽しみました。
打ち上げられた花火をみんなで見上げ、楽しい時間を過ごすことができました。
今年の花火イベント「峰っ子 花火の夜」 は、教頭先生のメモによると、子供・大人合わせて600名以上の参加となったようです。
峰っ子たちにとって、きっと楽しい夏の思い出となったことと思います。おやじ組の皆様に感謝いたします。ありがとうございました。



【Vol.105】8月21日の峰台 校内職員研修会
令和7(2025)年8月21日
今日は、葛南教育事務所の先生と船橋市教育委員会の先生をお招きして、全教職員を対象に「不祥事根絶研修」を実施しました。
峰台小の教職員から不祥事は絶対に出さないという高い意識を持ちながら、研修に臨みました。
事例等を参考に不祥事について再認識・再確認するとともに、法律等の確認、校内体制・職場環境の在り方、教職員一人一人の自覚の重要性などをご指導いただきました。
今後も学校として共通理解・共通認識・共通行動を心がけ、不祥事根絶に取り組んでいくためのよい機会となりました。



【Vol.104】8月20日の峰台 峰台小の歴史「峰台の特別な運動会」
令和7(2025)年8月20日
今年の峰台小は赤組・白組での運動会でした。どこの学校でも赤組・白組の2色が定番。
しかし、峰台小の歴史の中では、3色対抗運動会を実施していた時期がありました。赤組・白組とスクールカラーの緑組の3色で実施していました。
3色対抗の運動会は2003年度(平成15年度)に初の実施。それから3年間実施されました。対抗戦や団体戦はもちろん3色。応援合戦も3色で大盛り上がり。高学年の騎馬戦は、赤対白、白対緑、緑対赤での対戦、代表リレーも3色対抗での競走と見応えがありました。
全校種目「大玉送り」も3色同時展開。3色での運動会はとても華やかでした。
なぜ3色にしたのか。この頃の峰台小は全学年3クラスだったこともあり、色組の団結力強化と練習の効率化を図るため、1組は赤組、2組は白組、3組は緑組とクラス単位での色組み分けとなったからです。3色対抗で実施された3年間、緑組が3回とも優勝しました。2006年度(平成18年度)からは、4学級に増えた学年があり、赤白の2色に戻りました。



【Vol.103】8月18日の峰台 峰台小の歴史「今はないもの」
令和7(2025)年8月18日
長い時間の流れの中で、今では見ることができなくなってしまったものが世界にはたくさんあります。今回は、峰台小70年の時間の流れの中で「今はないもの」を紹介します。1つ目の遊具は登ることができる遊具です。はしごを使って登ったり、棒ではなく綱を使って登ったり、上部は横断できたり座ったりできて、とても楽しそうです。場所的には、現在の砂場付近にあったようです
2つ目は、すべり台とジャングルジムがセットになった遊具。しかも、すべり台は珍しいツイン。きっと友だちと楽しく遊んだことでしょう。現在、この場所にはジャングルジムだけがあります。
イベント関係でも、今では実施していない本格的な「餅つき大会」や「七夕集会」がありました。「餅つき大会」はPTA主催でした。いつの時代も「峰っ子たちのために」は変わりません。
七夕集会では、仮装もしていて、峰っ子たちは楽しそう。
校庭には、春になると素敵な姿を見せてくれる「峰台桜」がありました。3本のソメイヨシノが演出する美しい姿。峰台の大人気フォト・スポットでした。夏には、いっぱいの葉をつけてくれて、暑さをしのげるクールダウン・スポットでもありました。【平成21年撮影】
現在は、倒木により伐採されてしまい、残念ながら「峰台桜」の美しい姿を見ることは叶いません。
【現在の姿がこちらの画像です】



【Vol.102】8月14日の峰台 峰台小の歴史「周辺の変化」
令和7(2025)年8月14日
今から68年ほど前の峰台小とその周辺の様子です。学校の周辺には、まだ住宅は少なく、畑がたくさんありました。
昭和のはじめの頃、峰台付近を走る汽車の貴重な画像が残されていました。
明治26年、市川と佐倉の間に鉄道をつくることが計画されました。船橋の人々は、宿場を利用する人が減少することや汽車から出る黒煙がくらしに影響すると考え、この計画に反対したそうです。しかし、駅を町はずれにつくることで計画は実行され、明治27年、千葉県ではじめての鉄道が開通しました。国鉄船橋駅(現JR船橋駅)が、田んぼの中にぽつんと建っていたとは、今の船橋駅周辺の様子からは考えられない景色です。
峰台小学校の最寄りの駅「東船橋駅」は昭和56年10月に開業しました。峰台小学校創立25周年の頃のことです。その頃はまだ、高台にある峰台小の姿が周辺からよく見えていました。
現在の峰台小の周辺には、戸建て住宅やマンション等が建ち並んでいますが、この宮本・峰台地域には、歴史的にも貴重な建造物や場所がたくさんあります。



【Vol.101】8月12日の峰台 峰台小のプールの話
令和7(2025)年8月12日
8月の3連休の悪天候も落ち着き、穏やかさが戻ってきた峰台。今回の峰台ヒストリーは、プールの紹介をします。
峰台小のプールは、学校が高台に位置していることもあり、広がる空と流れる雲、通り抜ける風がとても気持ちのよいプールです。今年の水泳学習でも、峰っ子たちはとても楽しそうでした。
開校から6年が過ぎたころ、昭和36年11月のこと。峰台小にプールをつくるための「プール建設準備会」が開かれました。町会やPTAの役員の方が中心となり、地域の方々にお願いをして、150万円ものお金が集められました。翌年の昭和37年には、当時、船橋市内のどの小学校にもなかったプールができました。(※当時のプール建設費は約400万円、現在の価値に換算すると約3000万円ほど)
プールができるまでは、臨海学校に行ったり、宮本中学校のプールを借りたりして学習をしていたので、水泳学習の回数も少なかったようです。
プールができあがった翌年の昭和38年の「市内小学校児童水泳大会」で男子が優勝。その後も毎年、素晴らしい成績をあげました。昭和45年には、千葉県大会で大活躍し、全日本水泳競技大会に千葉県代表として出場。日本水泳連盟より「水泳優秀校」として表彰されました。



【Vol.100】8月5日の峰台 峰台の夏
令和7(2025)年8月5日
今日の峰台は、朝から30℃超えの気温で峰台の夏は本番。セミたちもにぎやかになってきました。太陽もひまわりも元気いっぱい。
猛暑日になるかと思いましたが、結局34.7℃が本日の峰台の最高気温。峰台の夏は、午後になると涼しい風が通り抜けるので、暑すぎるという感じではなく、木陰では気持ちのよい涼しさです。そして、今日の空は、校歌に出てくるような青い空です。峰台小は晴れた空がよく似合います。
今回は、今年度100回目の新着情報です。峰台の昔と今がわかる2枚の写真を紹介します。
開校から増築を続けてきた峰台小の木造校舎時代の最終の姿。木造・鉄筋・プレハブの校舎が混在しています。
その後、鉄筋造りの西校舎・体育館・鉄筋造りの東校舎が完成し、現在の峰台小の姿となりました。



【Vol.099】8月4日の峰台 校歌の話
令和7(2025)年8月4日
峰台小の校歌は、開校してから約1年後の昭和31年8月にでき、発表会を行ったという記録が残っています。
どこまでも続く海、みどりの森。晴れた大空の向こうに、白くうかぶ富士山。素晴らしい景観に囲まれた峰台の子供たちが、元気で、清く、美しい心と高い志をもって、のびのびと育ってほしいという願いが込められています。作詞:神原克重先生、作曲:小島和夫先生のお二人によって生まれた校歌です。
【当時の峰っ子たち】
作詞をしてくださった神原克重先生の直筆の歌詞、二番「くっきり うかんだ富士」を「しろく うかんだ富士」に修正しています。


