【子ども記者通信】退院、そしてこれから(船橋小学校 古城 碧空さん)

更新日:令和7(2025)年3月19日(水曜日)

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 船橋小学校 古城 碧空

 この記事は前の記事「船橋市立医療センター」の続きです。そちらを確認したうえでお読みください。


 手術の次の日、目が覚めたのは6時前。昨日は全く動かなかった左腕が完全に動くようになっていました。その代わり、少し痛みも出てきました。はじめに点滴を入れてもらいながら、朝ご飯を食べました。それから、先生が診察に来て、腕の状態を見てもらいました。そのまま退院できるか少し不安なところもありましたが、その場で「退院していいよ!」と言われました。私は心のなかでガッツポーズをしていました。すぐに家族に連絡をして、迎えに来てもらうようにお願いしました。
 その間に、私はどうにか片手でできるところまで荷造りをしていました。先生から生活上の注意などを聞いている間に母が到着し、荷物をまとめて3日間お世話になった病室を出ました。お世話になった看護師さんたちに感謝を伝え、病院の外に出ると太陽の光がとても眩しく感じました。久しぶりに吸った外の空気はとても新鮮で、気持ちが良かったです。
その日のお昼は飲食店で久しぶりのジャンクフード!より一層おいしく感じました。無事に退院したことを学校の先生たちにも報告し、その日は終わりました。久しぶりの家の布団はとても気持ち良く、とても落ち着きました。「やっぱり家がいちばんだなぁ~」と改めて実感しました。
 次の診察日。その日は先にレントゲンを撮ってから、抜糸をする予定でした。その日、私は初めて自分の腕にボルトが入っているレントゲンを見ました。少し衝撃的でした。それから消毒をし、抜糸を始めました。痛いものかと心配していましたが、糸はスルスル抜けていき、痛みなくいつの間にか終わっていました。それから「腕は自分で少しずつ動かしてもらってかまわない」と言われ、動かしてみようとした時、とてもびっくりしました。ずっと固定していた分、筋肉などが固まってしまい、腕の曲げ伸ばしが全くできませんでした。そのうえ、リハビリは必要ないと言われたのです。言われたときはリハビリもなしで、この腕が本当に動くようになるかとても疑問でした。そのあと、次の診察日の確認などをしてその日は終わりました。
 その日から毎日少しずつ腕を動かしてみると、初めと比べて、だいぶ動くようになりました。手術の傷もきれいに治ってきています。現在は腕の固定も外れ、比較的自由にできていますが、まだ負担がかかるような動きはできません。
 さらに、この怪我で私が2歳の頃から通い続けて、今年で10年目だった体操教室も3月までに復帰することはできないと判断し、辞めることになってしまいました。私自身、このような形で終わってしまったことがとても悔しく、苦しかったです。
 振り返ってみると、とても長い道のりを歩んできたなと思います。まだ側転も逆上がりも開脚跳びもできなかったところから始まった体操人生。それから10年。体操選手が試合で使うような技まで来たと思ったら、このような形に…。
 これからは定期検診という形になり、ボルトで固定している骨がくっついたら、ボルトを取り出す手術をしなければなりません。そこから負担をかけられるようになるまでを考えると完治まで1年ほどかかると思われます。中学の部活でも体操を続けようと考えていましたが、なかなか難しそうになってきました。部活のことはまた考えてみたいと思います。
 腕の回復自体はとても順調に進んでいます。私にとっては、この1年間とても苦しい時間になると思いますが、それを乗り越えて回復し、必ずスポーツで名を残せるようにします。私の名前を見るまで、応援して楽しみに待っていてくださったら、とても嬉しいです。
 もし、みなさんが怪我をしてしまっても下を向かず、前を向き続けてください。病院も良いところです。自分で治そうと努力し続ければ必ず報われる。私もそのようにして、この時間を乗り切ろうと思います!
(令和7年3月4日投稿)

退院時
(退院時の私)

抜糸後の傷
(抜糸後の傷)


 

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