徳川家康寄進状、徳川将軍朱印状 附 東照大権現像、葵紋箱
徳川家康寄進状、徳川将軍朱印状
![]() 徳川家康寄進状(天正十九年)※ 422mm×650mm |
![]() 徳川秀忠朱印状(元和三年) ※ 451mm×615mm |
天正18年(1590)7月に豊臣秀吉は北条氏を降して関東を平定すると、同年8月に徳川家康は駿府から関東に移封され、江戸城に入った。徳川家康が意富比神社(船橋大神宮)に「下総国葛餝(飾)郡舟(船)橋郷之内五拾石」の社領を寄進したのは、その翌年天正19年11月であった。以後元和3年(1617)に第2代徳川秀忠、寛永13年(1636)に第3代徳川家光、寛文5年(1665)に第4代徳川家綱、貞享2年(1685)に第5代徳川綱吉が、いずれも家康が船橋郷の内の50石の社領を意富比神社に寄進した「先判の旨」や「先判の例」によるという朱印状を与えている。
![]() 徳川吉宗朱印状(享保三年) ※ 470mm×650mm |
その後将軍であった期間が短かった第6代徳川家宣、第7代徳川家継、そして第15代徳川慶喜から朱印状は出されていないが、享保3年(1718)の第8代徳川吉宗から万延元年(1860)の第14代徳川家茂に至るまでの歴代将軍によって、朱印状が与えられている。
このように徳川家康が関東に移封されて以降、徳川将軍と意富比神社には深いゆかりがあった。
また船橋にはかつて徳川家康や徳川秀忠、徳川家光が訪れ、本町にはその際に利用したとされる市指定史跡「船橋御殿跡」がある。さらに市指定有形文化財「船橋浦漁業関係古文書類」に記されているように、船橋浦が幕府に魚介を献上する御菜浦であった等、徳川将軍との縁がある土地柄でもある。
こうした土地にあり、かつ古より現在まで広く人々の信仰を集めている意富比神社に徳川将軍ゆかりの資料がまとまって残されていることは、極めて歴史的価値が高いといえる。
東照大権現像
![]() 東照大権現像 ※ 922mm×383mm (伝 徳川家康72歳) |
![]() 東照大権現像 ※ 1295mm×583mm (伝 徳川家康42歳) |
東照大権現像は掛軸で2幅残っており、いずれも絹本着色画である。一方は家康公72歳の姿を、もう一方は42歳の姿を描いたものとされている。
作者、制作年代は不詳。
葵紋箱
![]() 葵紋箱 ※ (外寸)縦183mm×横558mm×高120mm |
寄進状及び朱印状が納められた箱には2つの葵紋が、また2幅の東照大権現像が納められた各々の箱には1つの葵紋が、付されている。
指定文化財の内訳
- 徳川家康寄進状1通。
- 徳川将軍朱印状11通。
- 東照大権現像2幅。
- 葵紋箱3箱。
所在地
船橋市宮本五丁目2番1号
所有者
意富比神社(船橋大神宮)
※現在は非公開となっております。
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