松が丘の歴史
松が丘の全町域は、昭和48年3月1日に住居表示が実施されるまでは、古和釜町といわれていた所である。そのため松が丘の歴史は、古和釜町の歴史でもある。
古和釜町は、平安時代の末ごろ、金堀、楠ケ山、大穴、坪井の四地区と合わせ「神保の郷」と呼ばれ、伊勢神宮の神領「萱田(かや)田神保御厨(みくりや)」の一部で江戸時代の初めまで下総の豪族・千葉氏や臼(うす)井の勢力範囲だったと、いわれている。が、江戸時代の末ごろは、徳川幕府と松平氏の領地で、村高は百十八石だった。
明治維新後、行政区画は、度々変わり、他村と戸長役場や連合役場をつくったりしたが、明治二十二年四月の町村制の施行で、他の十一ヵ村と合併し、豊富村に脱皮した。昭和二十九年四月、同村が船橋市と合併したさい、村時代の大字名に、町の一字がつけられ、古和釜町になった。
古和釜の町名の起こりは、はっきりしないが、昔この地には、水の湧く泥深い穴があったので、その地形から穴、くぼ地、泥深い所などの意味のある釜という字を、先住民たちの出身地である大和(奈良県)の地名の古和の末尾につけたと、いわれている。また、松が丘の町名は、松林の多い丘のイメージを表現したものである。(昭和60年11月発行 松が丘町会自治会連合会創立20年史「松が丘のあゆみ」より)
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