【子ども記者通信】戦争を知る(船橋小学校 大林 知暉さん)

更新日:令和7(2025)年10月9日(木曜日)

ページID:P140432

 記者写真今年は、戦後80年です。そこで、8月にフェイスで開催された「平和写真展」を見に行きました。
 市が昭和61年に行った「平和都市宣言」が収められた額縁のほか、沖縄戦に動員された「ひめゆり学徒隊」の写真が目に入りました。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒たちが、負傷兵の看護に動員され、解散後は集団自決や戦闘などで多くが犠牲になりました。沖縄戦前の笑顔の集合写真を見て、この幸せが戦争により壊されたのだと思い知らされ、心が痛みました。
 男子中学生が銃を持って整列し、畑の中の的を狙う射撃訓練の写真もありました。私とあまり変わらない年齢でありながら、駆り出されるのが戦争だとわかりました。
 今は亡き私の曾祖母が残してくれた戦争体験の詩も、この機会に読んでみました。学徒動員で、兵隊の制服を縫う工場で働いていました。家族と離れ離れの寂しさの中、食べ物が乏しくいつも空腹。ドングリの粉を混ぜたわずかな団子が昼ご飯で、水をたくさん飲んでしのいでいたそうです。
 ある時、しもやけを診てくれた医者が薬を塗ってくれるのに、全然治らないことがありました。しかし、別の女性にはよく効く薬を塗ってすぐ治っている。医者に理由を聞くと「百姓の出なのだから米や豆があるだろう」と言われたそうです。医者に物を贈らないと、まともな治療も受けられないということです。追い詰められた人間は、食べていくため、生きていくためなら自分を優先し、手段を選ばなくなっていく様子がつづられていました。
 社会の授業で、日本国憲法の三大原則の1つに平和主義があることを学びました。互いの正義を武力を通じてぶつけ合った結果、多くの尊い命が失われたことを教訓にしています。
 それでも世界を見渡すと、どこかで戦争が続いています。私は、今起きている戦争を止めるような力を持っていません。今出来ることは、まず戦争がどういうものかを知ることだと思います。二度と繰り返さないために、自分にできることを常に考えていきたいです。いつか世界に真の平和が訪れることを願っています。

(令和7年9月24日投稿)

ひめゆり学徒隊や原爆などさまざまな写真がありました
▲ひめゆり学徒隊や原爆などさまざまな写真がありました 
      船橋市の「平和都市宣言」が収められた額縁と
      ▲市の「平和都市宣言」が収められた額縁と
 

令和7年度子ども記者通信はこちら

このページについてのご意見・お問い合わせ

広報課

〒273-8501千葉県船橋市湊町2-10-25

受付時間:午前9時から午後5時まで 休業日:土曜日・日曜日・祝休日・12月29日から1月3日