法典(ほうでん)地域の歴史
地名の歴史
上山、藤原、丸山、馬込地域を通称「法典地域」と呼んでいます。
法典という地名の由来は諸説あって、上山、藤原に小字法傳、上、中、下法傳という地名があり、これらの地名から法典となったという説や、その昔、この地域を日蓮上人が通った時に法を伝えたことから、法伝が法典となった説などがありますが定かではありません。
新田開墾から村へ
1673年に上山新田、1674年に丸山新田、1675年に藤原新田が、行徳からの開墾民を中心に開墾されました。
そして、明治22年(1889年)に上山、丸山、藤原地域が合併して、千葉県東葛飾郡法典村となり、昭和12年(1937年)、法典村、塚田村、八栄村、船橋町、葛飾町が合併して船橋市となりました。
地名の由来
上山
東京湾から次第に標高が高くなり台地となっていることから、上山と呼ばれるようになりました。
藤原
開墾請負人の本行徳鈴木政右衛門の先祖が、藤原氏の出身であることから、藤原となったとう説がありますが定かではありません。
道路・交通
木下街道(市川印西線)
江戸時代に行徳河岸から利根川木下を結ぶ道路として整備されました。また、木下街道は鹿島、銚子への連絡道路としても利用されました。木下街道は昭和30年代まで悪路として名高く、昭和32年頃からの整備事業により舗装が進み改善されました。
幻の人車鉄道
明治42年(1909年)に木下街道の迅速輸送のため、鎌ヶ谷~馬込~法典~中山間を、木下街道単線で人車鉄道(人力による鉄道)が開業しました。その後、明治45年に行徳まで開通、車両は貨車64両、客車6両で、1車両に車夫4人がついて手押しで運行していましたが、大正6年の台風により行徳方面の線路が水没するなど被害を受けて、大正7年(1918年)に廃業となりました。
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