「平和の尊さを伝えたい」従軍の記録33
腹一杯めしが喰いたい! 福田 晴一(北本町・74歳)
私は昭和十九年から、昭和二十年の十月の末に復員する迄、西南太平洋のカロリン群島のトラック島の中にある春島(当時の日本名)の海軍航空隊に所属している電信隊の兵士だった。仲間は皆各地で補充召集をされた、所謂、補充兵で、当時私は未だ独身だったが、三十才から四十才位にもなる妻も子供もある兵隊が多かった。階級は二ツ星の最下級の一等水平だった。
滑走路の直ぐ傍の岩盤の中に電信室があり、昼夜六時間の勤務で、司令部から発令される敵機の来襲を、島の各砲台や兵舎に傳達するのが、私達の任務だった。空襲は殆ど毎日といっていいくらいあった。十五機ばかりの編隊で、青い海の彼方からやってきた。
わが航空隊には五機ばかりの零式戦闘機があったが、空襲警報と同時に翼を揃へて飛立つのだが、これは応戦するためではなく、島が爆撃されるのを横目にみながら、遙か遠くに空中退避してしまうのだった。
サイパン島・グァム島が陥(お)ちてからは、内地からの輸送が断たれて、兵備、兵員、糧食の補充がなくなり、食糧は欠乏して三度の食事はお粥になり、その粥食もいつしか米粒が浮かぶおも湯状の食事となり、終には農耕隊がジャングルを開墾して栽培した芋畑の芋が、兵隊たちの食糧となった。細い、十センチ程の芋が三個、それが兵隊らの、朝・昼・晩の食事だった。
兵隊は皆空腹を抱えて、思うことも考えることも食べもののことばかり、寄ると触ると食物の話で、戦争をするどころではなくなっていた。芋の葉を海水で味つけして煮たり、野鼠、トカゲ、カタツムリも煮て食べた。名もわからぬ樹の実、草の根も堀りおこしては、口にいれた。
毎日ある空襲の恐ろしさより、兵隊たちには、飢えは耐えられなかった。苦痛だった。夕方になると北の水平線上の空に、北斗七星が点々と浮かぶ。その下に祖国がある。それにむかって一心不乱なにかを念じている兵隊もいた。また、島民のカヌーを盗んで島から脱出を図る兵隊もあった。
敵は芋ができる頃になると、きまって芋畑にも容赦なく爆弾の雨を降らせた。全身疥癬(かいせん)だらけの兵隊。腹ばかりふくれたどす青い肌の兵隊。目ばかりギョロつかせて何かを探し求めて彷徨(さまよ)う兵隊たち。骨と皮ばかり杖をついて歩く兵隊。兵隊は誰もが痩せて衰弱し完全な栄養失調症だった。そして無性に飢えていた。『腹一杯めしが喰いたい!』
多ぜいの兵隊が、毎日死んでいった。遺体は毛布にくるんで、ジャングルの中に埋める。
スコールが降り灼熱の太陽が照りつけると、ジャングルの中から腐屍の嗅ひが漂い流れた。
紺碧の空、深緑青の海、サンゴ礁の島、美しい風景とは反対に島の飢餓の、正に、地獄の島だった。
私は全身疥癬だらけの四十キロ程の、痩せ衰えた体になっても、幸いこの島から還ることが出来た。
人間が如何に飢えに弱く、そして惨めになってしまうことを、とくと体験した私には、グルメ趣向、美味飽食を満喫している今の人達に、ほんの僅かでもいいから、食べものに対して、感謝する心をもってもらいたいと、いつでも考えている。
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