「平和の尊さを伝えたい」従軍の記録18
果たせなかった仇討 瀬畑 啓次(夏見台・63歳)
我々震洋特攻隊は、昭和二十年二月に二等飛行兵曹に任官し、三月前線基地に向うことになっていた。私達は予科練入隊以来、一度も帰省休暇がなかったので特攻出撃前に家族との面会の許可があり、佐世保の旅館で一晩父と語りあい二飛曹で写した写真を葬式用として父に託した。
三月十七日佐世保軍港で輸送船に乗船し日没後出発した。出港前は軍極秘とのことで行先はしらされなかったが、風聞で沖縄であろうことは薄々感じられた。出航後、鈴木部隊長から説明があり、「行先は沖縄であるが昼間は敵の空襲をさけるため、夜間のみ航行する」旨の指示があった。当夜はあいにく悪天候で波が荒く輸送船は相当ローリングが強く同乗者の中には船酔いのため洗面所に駆け込む者が何人も出た。我々搭乗員は、はじめての長距離航行と、あと何日生きられるのか等複雑な気持とが重なり興奮して寝床に就く者はほとんどなく、甲板に出て荒れる周囲の状況を観察していた。やがて荒れも治まり夜が白々と明け出したころ鹿児島湾に入り、日没まで待機することになった。同期の福重二飛曹が歩み寄って来て、鹿児島市内の一角を指し「あの辺が俺の家だ。今日上陸許可が出れば家に案内するんだがな………」と言うので「我々の行先も軍極秘だから上陸なんてあり得ないよ。あきらめるんだな。」と慰める。時間は正確ではないが午前九時ころ敵機来襲戦闘配備につけの放送で待機する。まもなく二十数機の敵グラマンが来襲し、我々の輸送船が特攻ということを知っているかのように、なぜか我々の輸送船に集中攻撃をかけてきたので船はたちまち火の海となった。間もなく特攻兵器の爆薬に誘爆するおそれがあり、部隊長より全員退船が発令され、それぞれ海に飛び込み対岸の桜島目差して泳ぎだしたが、その我々を目がけて敵機は機銃掃射を繰り返しそのたびごとに海中にもぐる動作を何回となく続けた後、ようやくの思いで島に辿り着いた。その後約一週間、事後処理のため鹿児島に残り、負傷者を霧島海軍病院に収容したり、戦死者の後始末等をした後、生き残った者で部隊再編成のため佐世保に引返した。到着後直ちに震洋特攻隊の搭乗員六名を至急沖縄に派遣せよ、の命令にて我々鈴木部隊から四名他の部隊から二名を選抜することになった。沖縄出身の伊芸二飛曹が、自分は沖縄出身であり、是非自分を選抜の中に入れてほしいと頼んだが、選抜方法は、搭乗員のペアが欠けた者から選ぶことになり、彼は選抜からはずされてしまった。私のペアで名古屋出身の乾二飛曹が戦死したので、私ほか同期四名が選抜され鹿児島に向った。鹿児島にて他の部隊から選抜されてきた搭乗員と合流し、鹿屋航空隊に向い防空濠内の仮兵舎で出発まで待機することになった。待機中に先輩搭乗員が話しかけてきて、あなた達は俺より後輩なのに階級が上なのはどうなっているのだと憤慨していたが、我々の命はあと何日もないのです。これから沖縄に特攻攻撃するため任官がはやかったと思うというと、先輩搭乗員もそうだったのか、大戦果を頼む、俺もあとから行くから靖国で会うと大粒の涙をながし、成功を祈ると握手して別れたが、その方がもし生きていればお会いしたいと思っている。出発予定日になると、敵機の来襲があったり、沖縄が激戦中で沖縄航空隊への着陸不能とかの情報にて飛行中止となり、今度は鹿児島航空隊から出発と決まり、鹿児島航空隊に出向するも、ここもやはり鹿屋航空隊と同様の状況で飛行待機のまま約一カ月、遂に沖縄空着陸は不可能となり、原隊復帰の命が下り我々同期四名は松島基地へ復帰した。
七月に一等飛行兵曹に進級し、特攻出撃の命令待ちをしていたが、八月十五日の終戦により故郷に帰ってきた。故郷に帰ってきたが、私の心の中では未だ戦争は終ってはいなかった。同級生の水越上飛曹も戦死していた。彼とは三重空時代に会ったのが最後となってしまった。また同部隊の同班十二名の同期生のうち七名も戦死してしまった。この仇討ちは必ずとってやると心に誓った。しかし、そのためには故郷で実行すれば、親兄弟に迷惑がかかると思い、親類縁者のいない北海道で決行しようと決め北海道に渡った。何とか敵軍にもぐり込もうと考えている時丁度、千歳空にアメリカの駐留軍がやってきて、無線通信士の要員募集があったので、これ幸いと早速応募した。一次試験は合格したが、二次試験の面接試験であなたは英文の通信ができるかと質問されたが、知らないというと不採用になり、仇討ちができなくなると思い「できます」と答えてしまった。すると今回の応募者のうちで英文の通信ができるのはあなただけです。頑張って下さいとはげまされた。合格者はいづれも陸海軍出身の通信経験者で、予科練出身者は私と小畑氏の二名であった。英文の通信ができるといってしまった手前、どうしてもおぼえなければならない。よし、予科練時代のことを思えばそんなに苦労しなくても大丈夫だろと、Aはトツー、Bはツートトト、と三日間で完全にマスターした。これもあの予科練時代のきびしい訓練をのり越えてきたたまものと思われた。よし、これでやっと仇討ちができると思い、その機会を待つことにした。
しかし、日がたつ毎に個々につきあっているアメリカ兵は、みんな気持ちの良い親切な者ばかりで、お互い国のために戦ったのであり、個人的には恨めないことを悟り仇討ちは中止することにした。本当は、世界中の皆んなが仲良しなんだ。これからは戦争のない平和を心から願うものである。
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