「平和の尊さを伝えたい」従軍の記録05
いのちの初戦 伊藤 明(高根台・71歳)
昭和十四年六月二十日夕刻、「応急派兵」が下令された。兵営は俄かにわき立って、先ず編成が下達され、残留組からのがれた事を喜び合い、兵器の点検、弾薬、燃料、食糧の受領、積載とこま鼠のように一晩中走り回って出発準備をととのえ公主嶺(こうしゅれい)を後にした。
鉄道の終点ハロンアルシャンに下車すると、興安嶺(こうあんれい)越えの悪戦苦闘が始まった。道なき湿地と炎暑の中の疲労と飢渇(きかつ)の行軍を続けて、着いた所は
ホロンバイル大草原のノモンハンだった。家一軒、樹木一本見られない、草と砂ばかりの空の下であった。
陣地と任務が与えられて配置につくと、いやおうなくノンモンハン攻防戦の戦火の渦に巻き込まれていった。それから砲撃、爆撃、歩兵戦車の襲来、それの反撃、息も抜かせぬ連日の戦闘に死傷者が続出する。いつ我が身か?戦闘とはこんなものだったのか!何もかも恐ろしい!そして何と苦しいものか!
「死」の恐怖と飢餓と疲労の連続である。
「死」はすべての終りを意味する。将来の果しもない夢も、現在の価値も、過去の歴史も「死」という事実のために総てが一瞬のうちに御破算になる。─そんなってないよー、そんな事に耐えられるか─。私は死を恐れ、血を逆流させて死を嫌っている。死を恐れ死を嫌っている者の正体は何だ。すなわちいのちだ。俺のからだの中に住んでいて俺の「生」の舵取りをしている奴だ!いのちは死の不安におびえ続けている。「『死』を恐れぬ勇敢な兵隊」これが兵隊となって以来、上官に要求され、そして自分も納得して勤めて来たはずの兵の要素ではないのか?軍隊教育の最大の条件であり、最高の目標ではなかったろうか!それなのに今俺は、死を恐れいのちは死におののいて身も世もない。─これでよいのか?これが過去の苦悩にも試練にも耐えて、立派な兵隊になろうとした俺なのか?俺は恥かしい。まだ誰も俺の内心を見抜いている者は一人もいない、今のうちに一日も早く死の恐怖から抜け出して、勇敢な兵隊にならなければならない。勇敢な兵士こそ国家が要求し、軍隊が期待し、戦闘が必要としている。そして兵士となった俺の義務でもあると思う。このざまでは恥かしい。一刻も早く死の恐怖を忘れて、いのちの安定をしなければならない。
「死」、死とはなんであろう?
「いのち」、いのちとは?どんな物であろう。一個の肉体が静止する─。これを単に死と呼んでいるのだろうか?いのちという物が肉体を離れた時が、死の時であろうか?確かに—、いのちが肉体に存在しているうちは動体であり、人間である。いのちが肉体から離脱した時、死であり、一個の有機物質となるのを此の目で幾度も見て来た。
『いのち』、『いのち』、いのちとは何と不思議な物であることよ─指先程の一発の銃弾が当たるか、当たらないかによって永遠の命の帰趨(きすう)が決る。即ち生体と一物質との境界線は瞬時に決る。逞(たくま)しい活力も、その瞬時に停止して、後は一気に自然の法則に従い、消滅の道を駆け降りて行く。これがいのちの正体だった。
『いのち』とはつくづくはかない物と思える・・・。いのちとはつくづく不思議な物に見える・・・。一個の命が、一個の小さな鉄片によって、その位置をちょっとずらされたその瞬間から・・・。頭脳明晰(せき)なこの秀才男は、呼べども答える術を失い、腕力抜群で何時も連隊相撲の花形横綱であったこのスーパーマンはずり落ちようとする担架から自分自身を支える力をも失い、おしゃれで気取り屋の色男も、だらしなく口を開けたままで早くも群がって来る鼻腔の銀蝿を追いはらおうともしない。
いのちと言う物が人間の肉体に存在する時と、離脱した時とは、こんなに大きな差があってよいのだろうか?しかも一瞬を境にして知能の差も、肉体の差も、気力も美醜も、いのちがあるうちの差異であった、いのちが失われた瞬間から平等となる。そして敵弾の威力も又平等であった。卑怯と罵しられ、臆病と笑われながらも自己の死を人一倍恐れ、いのちを大切にして来た男にも、勇猛果敢に敵に挑んだこの男にも、敵弾の威力に加減はなかった。そして肉体の腐敗消滅の過程に於いても少しの依こ贔展(えこひいき)はなかった。そして敵弾といのちの激突する機会もおおむね均等であるとみた。
死は恐ろしい。本能的にただ恐ろしい。いのちは死から逃げようとしている。これでよいのだろうか?兵としての義務を果し、兵の本分を全うしようとするならば、先ず、死の恐怖心を捨てない限り、いのちの安住といのちの平和は訪れないし、やがて神経はすり減って、発狂してしまうだろう。どんなに痩せ我慢しても、虚勢であっても、当座の恐怖心と戦い、克服しなければならない。
しかし、死闘は日増しに苛烈さを加え、ハルハ河を挟んだ攻防戦、ノロ高地の争奪戦は連日繰り返され、死傷は続出し櫛の歯を引くように、周囲の戦友は減って行く。もう付け刃の虚勢や痩せ我慢だけでは、いのちの悲鳴を押さえ、怯えを納得させることは出来なかった。死を恐れ、生の執着を抱きながら、敵の弾幕下に身を曝す(さらす)ことは、この上もない神経の消耗といのちの疲労である。
食事は思うように補給されず、敵弾の間隙(かんげき)には壕の補強に骨身を削り、睡眠も十分ではない。恐怖と飢餓と疲労の毎日、本当にここから逃避出来るものなら、逃げ出したいと思う。しかし、兵として戦列からの離脱は、人生の放棄に等しい。正当な理由がない限り、この生地獄から逃れることは出来ないのだ。
『正当な理由』!そうだ正当な理由がある。それは負傷する事であった。手か足にいのちに別状はないと思われる受傷によって、大威張りで後送されて行く戦友を、幾度羨ましい気持ちで見送ったことだろう。俺にも手頃な弾が当らないか!本気に願っていた。そんなおあつらえ向きな弾なんか、お前などに来る筈がないではないか!別の俺が叫び返している。到底逃げられないものなら諦めろ!勝手にしやがれ!当るなら何時でも当れ!自棄的な諦めがとうとう来た。そしていのちは腹の底に沈んで目先にちらつかなくなった。
人間には、運命というものがあるような気がする。『運命』それは神の絶対であり、人間の意志や、知力や、策謀のらち外にある。そして他分に浮気で移り気であり、人間の期待に逆行する皮肉性を持っている。ひたむきに願う者には運命の方から遠去かり、必死に逃れようと焦る者には、運命の方から追いかけて来る。たった二十年の過去だが振り返って見ると、それと思い当ることが幾度もある。
現にこの戦場でも・・・俺は見た。何度もこの目でみているではないか!。『俺が死んだら一家の者が困る。俺は死ねないんだ。』・・・と口癖のようにつぶやいていたあの後取り息子は真先に死んだではないか!母一人子一人で、除隊の日を指折り数えていたあの孝行息子も死んだ・・・何時も人の後に隠れて震えていたあの男も、ひょろひょろと壕から首を出した瞬間に死んだ。
敵の猛襲を受けるときまって便意を催す、うすのろ野郎がいた。起居も食事も一つ穴のその場で排便してしまう。いつも口汚く、罵り叱る役は俺だった。その俺が尿意を催して我慢出来なくなったが、今までの行きががり上、壕の中で済ますわけにはいかないので、おそるおそる壕から出て放尿した。瞬間!股間に風の声を聞いた。と思う間もなく轟音と共に吹き飛ばされていた。「やられた!」暫くして意識が帰って来た。周囲の硝煙がうすれ行く─。体を撫で廻してみたが別に異常は無いようだ。今這い出した壕から硝煙と土埃が上り、血と砂にまみれて戦友達がうめきのた打ち廻っていた。壕に重砲弾が直撃したのだ。二、三秒のタイミングの差は俺と戦友に大きな違いをつけた。運命という不可抗力的な現象と、魔阿不思議な出合いを俺にみせつけた。
いのちはやっと、―つの境地を掴んだ(つかんだ)ように見える。生殺与奪の権は運命の神にある。いのちの去就は神に任せよう。俺自身の意志外に、人間を支配する大きな力があるように思う。今日まで目の前で死んだ人も、傷付いた人も偶然といえば偶然であろうが、偶然そのものが運命の神の糸を引いたものではないだろうか?如何に叡智(えいち)の限りをつくそうとも、真摯な努力を重ねようと、又錬達の士であろうと、完全に運命の矛先(ほこさき)をかわすことはできないであろう。
『人生は運でない・・・努力だ。努力で運を開くのだ. 。』と教える人が多い。確かにその心掛けで努力を惜んではならないと思う。いのちの問題は、特に弾雨下の戦場のいのちだけは、人為的なものの限界外に、大きな運命の力が絶えず采配を振っているように思える。運命の神という奴がいる。そいつが我々のいのちの人事権を握っている。運命の神という食えない奴は、案外!閻魔大王であるかも知れない。人間には死期を百パーセントの確率で予知出来る者はいやしない。人間が生まれて市役所の戸籍簿に生年月日を登録されると同時に閻魔大王の閻魔帳に死亡年月日が決定記入されているかも知れない。そして死亡年月日は絶対に極秘であり、又絶対に遺漏なく施行されているのに違いない。今死んだあの男も、今日がちょうど二十三年前の誕生日に決定されていた、鬼籍に入る受付日ではなかったろうか!俺の地獄えの入籍日は、二十年前から決っていて、俺の自由にも敵の勝手にもならないのだ。
「あの生意地で憎たらしい小僧っ子は、まだまだ生かしておいて娑婆の辛酸をなめ尽くさせて思い知らさしてやらねばならない。今殺してしまっては『名誉の戦死』とか『九段の桜』とか言われて奴には勿体ない尊号を受けさせる事になる・・・とんでもない事よ』閻魔野郎は糞意地の悪い奴だから、きっとそんな事を言ってるに違いない。俺の一生は、運命の皮肉性が最大限に試みられる星の下にあるような気がする。望めば外れ、避けようとすれば必ず突き当る。すべては運命に任せよう。今更じたばたしても、どうにもならない事のようだ。
自己流の理屈で無理にいのちを納得させると、毎日は冷静になった。「そんな屁理屈で承知出来ないぞ」と時々いのちの奴はぶつぶつ言っているが、当座の急場は我慢して貰おう。
戦場の死闘は止む日もなく繰り返されている。大中小の砲声、弾道音、戦車飛行機のうなり、戦場は正に一大オーケストラの会場だった。そして周囲では、来る日も来る日も、幾つかづつの人間のいのちが清算されている。戦友の減って行くことは自己防衛力の減少に直結して、ひしひしと心細さが襲って来る。
雨の日も、暑い日も、夜も昼も、昨日も、今日も、そして明日も、ハルハ河を挟んで攻防戦は続けられるであろう。夜取れば昼取り返されるノロ高地の争奪戦は、ただ若く熱いいのちのぶつかり合いだった。この戦闘はどんな理由であったか?何の意義があり、こんな不毛な小高い丘に、幾百のいのちの代価を払う程の値打ちがあるのか?俺の鬼籍に入る日は何日なのか?もうそんな事はどうでもよかった。敵がいるから撃ち、攻撃するのだ。敵が来るから防ぎ逆襲しているだけだ。もう恐怖も、夢も、欲望もない。欲望と言えば一晩でいいから、ぐっすりと眠って見たい。一度でいいから、腹一杯食事をしたい。そしたら若い肉体は一晩で充実し、いのちははずんで来るだろう。
暦も忘れ果てているうちに、ノモンハンには秋風が立ちはじめて来た。灼熱の太陽も、何時の間にかその勢いを和らげ、生い繁った夏草は砲撃と人馬に踏み砕かれて見る影もない。掘り返された散兵壕の残骸は、所かまわず戦野は荒涼の秋を深めようとしている。指を折ればもう九月入っている筈、本当に一日だって戦闘のない日はなかった。戦友は半分に減っているが、俺はまだ生きていた。そして戦いも続いている。次々に新しい敵を求めて照準線に必殺の瞳を据えている。雌雄を決する総攻撃があるそうだ。そんな噂にもいのちはもう騒がなかった。終り
一、体験の場所 旧満州国興安北省ノモンハン地区
二、体験年月日 昭和十四年六月—九月
三、当時の職業 関東軍現役兵
四、年令二十才
このページについてのご意見・お問い合わせ
- 総務法制課
-
- 電話 047-436-2122
- FAX 047-436-2196
- メールフォームでの
ご意見・お問い合わせ
〒273-8501千葉県船橋市湊町2-10-25
受付時間:午前9時から午後5時まで 休業日:土曜日・日曜日・祝休日・12月29日から1月3日


