【子ども記者通信】戦争とわたしたち(法典小学校 浅沼 香保さん)
私は10月3日、6日に戦争についての話を聞きました。3日には郷土史家の山本稔先生、6日には千葉県遺族会のみなさんが学校に来てくださいました。山本先生は法典小学校にあった記録をもとに、千葉県遺族会のみなさんは千葉県や日本のことについて話をしてくれました。
戦争中は空から爆弾が落とされる日々だったそうです。空から爆弾を落とされる事を“空襲”と言います。空襲が来る事を伝える空襲警報がずっと鳴り響いていて、ラジオはどこから敵が来るか詳しく教えてくれていました。
法典小学校の戦時中の学校日誌には、警報が鳴ると先生たちが出勤していたことが書かれていました。山本先生から実際に空襲警報を聞かせてもらいましたが、防空壕の暗闇で毎日のように聞くと思うと緊張感が高まり、不安な日々を過ごしていたことがわかりました。
空襲により、炎で都市が燃え、荷物を持った人、火を消そうとした人など、多くの人が亡くなりました。そして、多くの人が水の中だったら助かると思い、水の中に飛び込んだそうです。また、動物園では戦争を優先するために、動物を殺処分したり、空襲で亡くなったりした動物がいました。私は、戦争のために罪のない動物が犠牲になったとわかり、とても悲しくなりました。
ここからは当時の小学生のことについて、紹介します。この時代は小学校までが義務教育だったので、小学校を卒業すると仕事をしている人がほとんどでした。小学生の生活は、午前中は授業、午後は仕事(農作業など)なので、勉強がしたくてもできませんでした。そして、戦争に行く人達を見送ったり、戦争に行って亡くなった方達を迎え入れたりと、今では考えられない事で驚きました。
小学校の思い出である、修学旅行も危険が隣り合わせの状態で行ったそうです。空も海も戦争機でいっぱいで、好きなことができない、自由がないなど行動の制限が多くありました。
そして、私が聞いて衝撃的だったのが、今の法典小学校と昔の法典小学校の場所は移動していたこと、塚田小と合併していた時期があったこと、法典小の校庭にも爆弾が2つ落とされていたことです。学校日誌を読み解くと、これらがわかるということでした。学校の廊下に展示されている昔の学校日誌が、とても貴重な物だとわかりました。戦争に行くことを拒否できないという話は聞いたことがありましたが、自分が住んでいる地域でも本当に召集令状が本人・家族に渡されていることを知りました。法典小学校の地域の方も戦争へ行っていることに、とても驚きました。船橋大神宮に船橋から戦争に行った人たちの慰霊碑があると教わったので、今度見に行きたいと思いました。
私は、戦争の話を聞いて、思うように勉強ができなかったり食べ物がなかったりと、大変だと思いました。戦争が二度と起きない世の中を願い、大人になったら戦争のことを少しでも伝えられるようになりたいです。
(令和7年10月29日投稿)
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