ふなばし文学散歩~太宰と川端をたずねて~

更新日:令和2(2020)年5月25日(月曜日)

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歴史めぐりの画像1

船橋で過ごしていたことのある文豪、太宰治と川端康成。船橋市内には、彼らゆかりの場所や文学碑があります。その足跡をたどってみませんか。
※太宰治と船橋についてはこちらをご覧ください。

船橋駅 スタート

0.7km 8分

九重橋(ここのえばし)

船橋の中心市街地を流れる「海老川」にかかる橋。太宰治の旧宅跡にほど近いこの橋には、太宰の肖像と、代表作「走れメロス」の一節を刻んだレリーフが設置されています。
なお、この橋のほかにも、海老川にはたくさんの橋がかかっており、様々なテーマに沿ったレリーフが展示されています。詳しくは「海老川十三橋めぐり」をご覧ください。
所在地
船橋市宮本1-29付近
歴史めぐりの画像1

 0.1km 1分

太宰治旧宅跡

 太宰治が借家住まいをしていたところ。昭和10年7月1日、26歳のときに太宰は東京の杉並からここへ移り住み、内縁の妻であった“初代(はつよ)”とともに、1年3カ月の時を過ごしました。

※現在は別の住宅が建っており、石碑と説明板のみがあります。見学の際は敷地内に立ち入らず、お静かにお願いします。

所在地
船橋市宮本1-12付近
歴史めぐりの画像2

0.4km 5分

御蔵(おくら)稲荷神社

太宰治が船橋滞在中に砂子屋書房から刊行した、短編集『晩年』。太宰最初の単行本として知られています。同作の口絵写真に使われている、お稲荷さんの狐(石像)を背景にした太宰の写真が撮影されたのは、この「御蔵稲荷神社」だといわれています。今も地域のみなさんが大切に守っている神社です。
住所
船橋市本町4-31
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0.5km 6分

中央公民館
3階:月廻家(つきのや) 広場:夾竹桃(きょうちくとう)/文学碑

かつて船橋には割烹旅館や遊園地からなる「三田浜楽園」があり、東京や地方から多くの人を集めていました。昭和8~10年頃、川端康成がここを訪れ、執筆の場として利用、小説「童謡」を著しました。作品の中に名称こそ出ていませんが、内容から、その舞台は割烹旅館三田浜楽園とされています。
船橋市中央公民館3階にある“第三和室(茶室)”は、「三田浜楽園」の客室(離れ)だった“月廻家”の面影がある部屋です。平成18年に旅館が閉業した際、部材の一部を使用し、当時の様子を再現しました。
※見学は“第三和室”が使用されていないときのみ可能です。ご希望の場合は中央公民館に事前にご相談ください。

建物の外には広場があり、太宰治の旧宅から移植されたといわれる夾竹桃が植えられています。この木は隣人宅にあったものを、太宰が頼んで譲ってもらったとされているものです。その隣には文学碑と説明板が設置されています。

写真1枚目 中央公民館第三和室
写真2枚目 太宰治が植えたとされる夾竹桃と文学碑
住所
船橋市中央公民館(船橋市民文化ホール併設) 船橋市本町2-2-5
歴史めぐりの画像4 歴史めぐりの画像5

0.6km 8分

 

湊町2丁目公園

 

船橋市役所の向かいにある小さな公園です。ここに、川端康成の文学碑が設置されています。また、川端が滞在した「三田浜楽園」の当時の風景写真を掲載した説明板もあります。

住所
船橋市湊町2-8
画像

1.0km 13分

船橋駅 ゴール