習志野原の名称

更新日:令和6(2024)年11月22日(金曜日)

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『習志野原の名称』 

【船橋市(習志野、習志野台、西習志野) or  習志野市東習志野】という地域・・・。

船橋市なのに習志野という地域が3箇所あります。習志野市には東習志野という地域があります。他から見ると、『何ともややこしい地域』と思うことでしょう・・これらの地域はかつて『習志野原』と呼ばれた一帯の地域でした。その名残りとして、現在もその名が残されております。

明治6年(1873)時の明治天皇は、近衛兵を引き連れてこの地で大規模な演習を統監された。お供には天皇の信望厚い近衛都督の西郷隆盛もいた。その時に天皇が野営された場所が現在の船橋市習志野台4丁目あたりであった。この時に天皇は、この地が演習場として大変有効な土地であると判断され、以後この地を『習志野之原』と命名し、陸軍の演習場として活用するよう命ぜられたのであった。

天皇がお供を引きつれ地方にお出かけになることを『行幸(ぎょうこう)』または『御幸(みゆき)』と言った。野営をされた場所には後に行幸記念碑『明治天皇駐蹕之処(めいじてんのうちゅうひつのところ)』が建立された。また、石碑が建立された場所は「御幸台」と呼ばれていた。

石碑は平成6年まで船橋市習志野台4丁目に現存していたが、「みゆき町会」の会館が建設されるにあたり、薬円台公園内に移設されて現在に至っている。なお、町会名は『御幸台』から名づけられているそうである。

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