市船の盾から日本の盾へ 市船サッカー部元主将 岡部タリクカナイ颯斗選手

更新日:令和8(2026)年6月14日(日曜日)

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岡部 タリクカナイ 颯斗選手4
 
東洋大学の2年生で、サッカー部に所属する岡部タリクカナイ颯斗(おかべ たりくかない はやと)選手は、市立船橋高校サッカー部の元主将(令和7年卒)です。

タリク選手は、令和8年1月に開催された「AFC U23アジアカップ サウジアラビア 2026」サッカー男子日本代表に弱冠19歳ながら飛び級で代表メンバーに選出され、187cmの長身を活かした守備で優勝に貢献。2028年ロサンゼルス五輪の有力候補として期待されています。

今回は、高校時代のポジション転向やプレミアリーグ11戦未勝利からの奇跡の残留への転換点、そしてロサンゼルス五輪への想いについてお話を伺いました。

エリート集団での葛藤と、市船への進学

サッカーを始めたきっかけは?

サッカーをやっていた父と休みの日に一緒にボールを蹴っていたことがきっかけです。 父はガーナの世代別代表にも選ばれた経験があり、その影響で自然とサッカーに親しむようになりました。当時から点を取るのが好きで、シュートの練習ばかりしていました(笑)

柏レイソルのユースチームにはどのように入団しましたか?

幼少期は越谷の地元の少年団でサッカーをしていて、小学5年生の時に、柏レイソルの人に声をかけてもらい、入団が決まりました。小学生までは周りに比べて身長が高かったですが、中学生になると周りも身長が伸び技術的なレベルも高く、柏レイソルでの3年間は全然試合に出ることができませんでした。

市船に進学した経緯を教えてください

柏レイソルユース(U-18)への昇格は叶いませんでしたが、中学3年生の時の柏レイソルユース(U-15)の監督が市船出身だった縁で、市船に進学することになりました。当時は、市船に拾ってもらったという感覚でした。柏レイソルはJリーグのユースチームの中でも、テクニック系のスタイルで、市船はフィジカル系の走って戦うサッカーなので環境が大きく変わりました。

フォワードから「市船の盾」へ

岡部 タリクカナイ 颯斗選手 市船時代3
全国高校サッカー選手権大会で得点
(当時2年生)
岡部 タリクカナイ 颯斗選手 市船時代1
インターハイ(総体)千葉県予選決勝で
競り合うタリク選手(当時3年生)

市船の練習はどうでしたか

フィジカル面が苦手だったのもありますが、めちゃくちゃ走って、きつかったです。印象に残っているのは、グラウンド1面を細かく分けて、ひたすら1対1を行う練習です。市船の3年間は心と体がすごく鍛えられて、その3年間が今の自分を作っていることは間違いないです。

フォワードからセンターバックへのコンバートはどういった流れで?

高校1年生はフォワードで試合に出場していましたが、高校2年生の途中からボランチやセンターバックでプレーする機会が増えるようになりました。たぶん自分の適性を判断してくれてたんだと思うんですけど、2年生の秋ぐらいに監督やスタッフと話して、 フォワードからセンターバックへコンバートされました。正直、点を取り結果を残していたので、 はじめは納得いかない中でセンターバックになりましたね(笑)
ただ、監督やスタッフからは「プロになるならタリクはセンターバック」と言われていました。その言葉を信じて努力し、世代別代表に選ばれるところまで来たので、あの言葉は本当だったんだなって、すごく感謝しています。

伝統の背番号「5番」と主将の責任

岡部 タリクカナイ 颯斗選手 市船時代2
主将としてインターハイ(総体)千葉県予選で優勝(当時3年生)

市船の守備の象徴である背番号「5番」を渡された時の気持ちはどうでしたか?

センターバックをやるなら背番号は「5番」がいいなと思っていて、監督がその番号を自分に託してくれた瞬間は、うれしかったです。
「5番」を付けたがっている仲間がいることも知っていたので、その思いも背負って戦わなければという思いで一層気が引き締まりました。

主将として挑んだ高校年代最高峰のプレミアリーグ(※)前期は11戦未勝利という苦しい時期がありましたが、チームをどう立て直しましたか?

負け慣れてしまったというか「また負けるんだ」みたいな感じでずっと試合が続いていました。第10節の横浜FC戦に負けたあと、選手みんなで集まって本音をぶつけ合ったことが大きかったです。監督から「必要なことだから思うことを全部ここでぶつけろ」と言われて、みんながいろんなことを吐き出しました。この本音のぶつけ合いが転換点だったとチームメイトも話していました。
 
※プレミアリーグ(高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ )・・・2種登録されている約3,800チーム(2024年度)のうち、Jリーグのユースチームと高校のサッカー部から24チームのみが参加できる日本の高校年代(U-18)で最高峰のサッカーリーグ。「EAST」と「WEST」に分かれて、それぞれホーム&アウェイ方式による2回戦総当たり戦を実施。「EAST」と「WEST」のリーグを優勝した2チームがFINALへと進み、U-18世代の真の日本一を決める。

ご自身の武器を教えてください

高さのあるヘディングはもちろんですが、 一番は「対人守備」です。 大学1年生から試合に出させてもらってて、年上のフォワードと対戦しても、全然勝てるなという確かな手ごたえを感じていました。その自信の根底には、市船で積み重ねた厳しいトレーニングがあります。

2028年ロス五輪へ向けた想い

岡部 タリクカナイ 颯斗選手2
武器である対人守備
岡部 タリクカナイ 颯斗選手3
東洋大学で日々練習に励む

2028年ロサンゼルス五輪も視野に入ってきた中で、日々どのような意識で取り組んでいますか?

大岩監督が指揮を執るU-22日本代表に初めて選ばれた時から、オリンピックは常に意識してきました。オリンピックを見据え、代表に継続して呼ばれるように、チームに戻ってからの日々の練習や試合こそが大事だと思っています。
ただ大学で試合に出るだけでは、オリンピックに届かないので、日々の練習や試合で、周りより1つ2つ上のレベルのパフォーマンスを発揮できるようにと考えています。

ご自身のマイルールはありますか

小さい頃から「友達と遊ぶか練習するか」「家でゆっくりするか筋トレに行くか」などの日常の2択に向き合うたび、いつもきつい方、やるべき方を選んできました。サッカーにプラスになることを選択した方が自分もすっきりするし、そういう細かい1日1日の積み重ねを意識しています。

後輩へのエールと卒業して感じる市船の魅力

岡部 タリクカナイ 颯斗選手1

昨年度高校年代最高峰のプレミアリーグからプリンスリーグ(※)に降格し、1年での復帰を目指して戦っている後輩に向けてエールをお願いします

今年の3年生は1年生の時からAチームに入っていた選手もいて、試合に出て点を取っていた選手も多かったです。スタッフからも「強い代」と言われていて、私たちの代もみんなそう思っています。厳しい戦いですが、プレミアリーグにいたという誇りと自信を持って、頑張ってほしいです。

※プリンスリーグ(高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ)・・・高校世代最高峰のプレミアリーグに次ぐカテゴリーに位置し、プレミアリーグ昇格を懸けて全国9地域で4月~12月にホーム&アウェイ方式による2回戦総当たりが行われるリーグ戦。市船はプリンスリーグ関東1部に所属し、各地域の上位チームが昇格に向けたプレミアリーグプレーオフ(参入戦)に進む。プレーオフで勝利することで次年度のプレミアリーグ昇格が決定する。

後輩や市船を目指す子どもたちに伝えたいことや今後の意気込みを教えてください

入学した時はそんなにすごい学校という自覚はなかったですが、代表やJクラブなどどこに行っても市船出身の関係者がいて、本当にすごい学校だったんだと、卒業してから改めて実感することが多いです。
高校の時から「市船のユニフォームを着ている以上は戦わないといけない、負けちゃいけない」とずっと言われてきた言葉の重みが、年齢が上がるにつれてより強く感じられるようになっています。市船での3年間は本当に人生で一番濃かった3年間でした。技術的なことだけでなく、人としての土台を作ってもらった場所だと思っています。市船に感謝しながら、プライドを持ってプレーし続けていきたいです。

プロフィール

♢2006年5月22日生まれ
♢ 埼玉県越谷市出身
♢経歴
柏レイソルU-15 → 市立船橋高校 →東洋大学  
♢代表歴
U-18日本代表
U-21日本代表
U-22日本代表