端正な口調の真っ直ぐな芸風が持ち味 落語家 立川談修さん

更新日:令和7(2025)年12月17日(水曜日)

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立川談修さんは、高根東小学校・高根中学校出身の落語家です。大学を卒業した1995年に「落語立川流」に入門。家元・立川談志氏が生前最後に真打昇進を認めた弟子こそが談修さんでした。
高根東小学校時代に落語の面白さに目覚め、以来、落語に情熱を傾け続けてきた談修さんに、これまでの歩みや地元・船橋への思いを伺いました🎤

立川談修(1)

初めての高座は高根東小学校の教室

稲妻が走るほどの衝撃

 小学4年生のときに、落語好きの父に薦められて、人間国宝の柳家小三治師匠の「ろくろ首」を聞いたのが落語との出会いです。稲妻が走ったような衝撃を受けて、すぐにとりこになりました。それからは、ラジオ番組をカセットテープに録音して何度も繰り返し聞き、多くの古典落語を自然と覚えていきました。

クラスのお楽しみ会で大好評

 初めて落語を人前で披露したのは、小学校でのお楽しみ会のときでした。学習机を集めた上に座布団を置いて高座を作りました。古典落語「ぞろぞろ」を披露したところ、クラス全員が大爆笑してくれて、さらに落語の面白さを追究したいと思うきっかけになったと思います。

大学卒業と同時に立川談志に弟子入り

迷わず落語家の道へ

 高校、大学では落語研究会に所属し、文化祭などで披露していました。
 大学卒業後の進路を考える時期になって、同級生たちが就職活動を始めるなか、自分は落語家の道に進むこと以外は考えられませんでした。弟子入りするとしたら、一番面白いし、一番上手いと昔から思っていた立川談志師匠が真っ先に頭に浮かび、立川流の門を叩きました。

名前は師匠から受け継いだ大切な遺産

 入門から1カ月半ほど経ったとき、それまでほとんど話しかけられなかった談志師匠から、いきなり「お前、専修大学だったな。じゃあ『談修』でいいか」と言われ、突然名前が決まりました(笑)
 落語家は、昇進を機に名前を変える人が多いのですが、自分は30年間一度も変えていないですし、今後も変えるつもりはありません。『談修』という名前は、師匠から受け継いだ大切な遺産だと思っているので、これからも大切にしていきます。

立川談志が生前認めた最後の真打ち

 当時の立川流には、落語会を開き、観客の前で師匠に昇進を認定してもらうという慣例がありました。談志師匠が入院されている病院へお見舞いに行った時に「いつ真打ちになっても構わない、口上に並んでやる」と言われていたのですが、自分の実力に自信が持てずに二の足を踏んでいました。稽古を重ね、いざ談志師匠に真打ち挑戦を相談しようと思ったときには、病状が悪化しており、自分の口で伝えられぬまま亡くなってしまいました。その後、兄弟子から「お前は師匠から“真打ちになっていい”とお墨付きをもらっているのだから、真打ちになれ」と言ってもらい、2013年4月に“立川談志が生前認めた最後の真打ち”として昇進する運びとなりました。

地元・船橋へ笑いを届け続けたい

 日々心がけていることは「初めて聞く人にもわかりやすい落語」を届けること。落語を聞く機会は、それほど多くはないと思いますが、来てくれたお客さんとの一期一会を大切にしていきたいです。船橋市内でも月1回落語会を開いていますので、ぜひ足を運んでもらいたいです。
 これからも、地元・船橋に笑いと落語文化をお届けしていきます!
立川談修(2)
   最勝院(本町3)落語会の様子