船橋市出身のセッター 関 菜々巳選手
▲座右の銘「継続は力なり」を書いた色紙を掲げる関選手
関 菜々巳(せき ななみ)選手(25歳)は船橋市出身のバレーボール選手(セッター)です。船橋市立法典西小学校、行田中学校を卒業し、千葉県の強豪県立柏井高校(千葉市)に進学。高校3年生時にはキャプテンとしてチームを引っ張り、全日本バレーボール高等学校選手権大会(通称“春高”)に出場。全国ベスト16の成績を収めました。
第18回アジアジュニア女子選手権大会(U-19)の日本代表に選ばれ、高校卒業後の平成29年(2017年)に、Vリーグの東レアローズに所属。平成31年(2019年)にはVリーグ最優秀新人賞・ベスト6を受賞し、日本代表として国際大会で活躍すると、令和6年(2024年)にパリオリンピックのメンバーに選出され、夢の舞台で熱戦を繰り広げました。
関選手は自身の成長のため、来シーズンから世界最高峰のリーグであるイタリアのセリエAの舞台で戦っていきます。
今回は、パリオリンピックの悔しさを糧に、4年後のロスオリンピックでメダル獲得を誓う関選手と中学生時代の顧問である今井先生のインタビューをお届けします!
激闘のオリンピックを振り返って
▲パリ2024オリンピックでサーブを打つ関選手
――初めてのオリンピックはどうでしたか
メダルを獲ることができず、結果としては満足いくものではありませんでした 。ただ、初めてオリンピックの舞台に立つことができたので、バレーボール選手としても今後の人生においても貴重な経験になりました。この経験を生かして、4年後のロスオリンピックに向けてイタリアで挑戦して頑張っていきたいです。
――印象に残っているプレーはありますか
たくさんありますが、悔しさが残っているので、悔しいプレーが印象に残っています。特に、予選ラウンドのポーランド戦でのアンダートスが、ネットに近くなったことが失点に繋がったので、あの1点を獲れていれば結果が変わっていたかもしれません。しかし、日本に帰ってきてから、たくさんの人が日本バレーの魅力を伝えてくれたことで、背中を押してもらったように思っています。
苦しいこともあるがバレーボールが好き
▲リラックスして笑顔で話す関選手
――バレーボールを始めたきっかけは何ですか
姉がバレーボールをしていた影響で、小学2年生から塚田JSCで始めました。父がコーチをしていた影響で、自然な流れでバレーボールをやることになりました。
――セッターの魅力とは
今もずっと難しいポジションだと感じています。しかし、セッターはチームの中でボールに触れる回数も多く、組み立て次第で試合の行方を左右することができるので、やりがいがあります。
――セッターとしてのアピールポイントを教えてください
ミドルを積極的に使い、そこからサイドに展開していくトスワークが特徴です。スピード感のある速いトスでも、アタッカーが打ちやすいように低くなりすぎないように気を付けています。
人生を変えた今井先生(行田中学校)との出会い
▲左から松戸徹市長、今井彩登先生、関菜々巳選手、押野忠治さん、松本淳教育長
――中学生時代の恩師今井先生とは当時どうでしたか
普段は、バレーボールのことで怒られてばかりでしたが、物事と向き合い抜くことや人との向き合い方など、とにかく常に怒られていました。でも、今井先生と出会っていなければ今の自分は無いので感謝しています。
――柏井高校への進学の決め手はなんでしたか
今井先生が、春高の観戦に連れて行ってくれて、そこで準決勝の試合を見ました。その時に、自分もここまでバレーボールをやってみたいと思ったのがきっかけです。
――今井先生から見て関選手の活躍はどうですか(今井先生)
VNL(バレーボールネーションズリーグ)の国際大会で、一度ベンチから外れた時は、正直心配していました。でも、オリンピックを観たとき、そんな心配もよそに堂々とプレーする姿を見て感動しました。想像以上の努力を続けられることが、関選手の凄いところです。その努力が、今後も報われて欲しいと思っています。
――中学生時代の関選手はどんな選手でしたか(今井先生)
一言でいうと「真面目」でした。他の人とは違うストイックさを持っていました。朝早くから練習をしていて、頑張る基準が高かったですね。そのおかげで、チーム一丸となって戦うことができていたと思います。
――船橋での思い出はありますか
船橋のここが思い出というよりは、「帰ってきたな、安心するな」ということが一番です。
また、中学生から県外の強豪校に行くわけではなく地元の公立中学校に進み、そこで体育館が使えない日には、外でサーブカットの練習をしたことも貴重な経験でした。いつの時代に戻りたいか聞かれたら、中学生と答えるくらい楽しかったです!
初めての海外挑戦 広い世界を感じ高みを目指して
――来シーズンからイタリアへ渡ることになっていますが、海外挑戦を決めたきっかけは何ですか
海外のチームと試合をしていく中で、もっと広い世界を見てみたい、色々な刺激を受けたいと思ったのがきっかけです。海外の選手から、バレーボールに取り組む姿勢や考え方について学んでいきたいと思っています。
――代表と個人の目標を教えてください
代表としては、パリオリンピックでは悔しい想いをしたので、4年後のロスオリンピックではこの経験を生かしてメダル獲得を目指します。個人としては、メダルを取るための日本代表に必要な選手となれるように日々努力していきます。
――子どもたちに一言お願いします
私は小学生からバレーボールをしていました。全然すごい選手ではなく、小さい頃から日本代表を目指していたわけではありませんでした。その時自分がいるステージで挑戦し続けることで、結果的に日本代表として戦うことができたのではないかと思っています。挑戦し続ければ、常にチャンスはあるので、挑戦する気持ちや楽しむ気持ちをもって頑張ってほしいです。自分自身もそう思って挑戦し続けています!諦めない限りいくらでも可能性があるので、ぜひとも、挑戦し続けてほしいです。
船橋市役所を訪問!
関選手は「結果としては満足いくものではありませんでしたが、バレーボール選手としても、今後の人生においても素晴らしい経験になりました。オリンピックという舞台で今シーズンの中では一番いいプレーができていたと思います。4年後にまたオリンピックの舞台に戻ってメダルを持ち帰りたい」と熱い思いを語ってくれました。
市長は「お疲れ様でした。オリンピックは、特別で何か不思議な力、大きな力があるなと改めて感じました。コンディションを管理して戦っていくのは大変だろうなと思います。最後まであきらめずに拾う日本のバレーボールを見て、関選手はすでに子どもたちの目標になっています。ぜひとも次のロスオリンピックではメダルを持って帰っていただきたいです。また、来シーズンのイタリアは環境が違って大変だと思いますが、良いまちだと思うので景色など楽しみながら頑張ってください」と激励の言葉をかけました。
関選手からのメッセージ
レベルの高いリーグに挑戦することはもちろん、言語の壁や食事などバレーボール以外でも難しい環境を自ら選び、自分自身の力を向上させるため、上を目指し努力を続ける関選手。
4年後のロスオリンピックのメダル獲得という大きな目標に向かって、一歩一歩進んでいきます。
これからも挑戦を続ける関選手から目が離せません!
♢関 菜々巳選手プロフィール
船橋市立法典西小学校、行田中学校出身。
小学2年生から塚田JSCでバレーボールを始める。
2019年 Vリーグ(東レアローズ所属)の最優秀新人賞を獲得
2024年6月 イタリア・プロセッコDOC・イモコ・バレー・コネリアーノへの入団が決定
2024年 パリ2024オリンピックに出場