船橋市出身のシンガーソングライター・奥 華子さん

更新日:令和5(2023)年6月28日(水曜日)

ページID:P114593

声だけで泣けると称される唯一無二の歌声で、多くの人から愛されているシンガーソングライターの奥華子さんは、「やさしい花」でメジャーデビュー以後、時をかける少女の主題歌「ガーネット」や、「初恋」など透き通った歌声で多くの人を魅了しているほか、「キッコーマン豆乳」「お部屋探し MAST」「ガスト」などのCMソングや、千葉県警察交通安全の歌を制作するなど、その歌声は幅広い世代に親しまれています。また、新京成電鉄 松戸方面行き(上り線)の「列車接近放送」などのアナウンスも話題となり、その声に癒された方も多いのではないでしょうか。
今回は、今年5月27日(土曜日)の船橋市民文化ホールを皮切りに3年半ぶりとなるコンサート「リスタート」を開催する奥華子さんのスペシャルインタビューをお届けします♪

奥華子さんトップ

活発だった小学生時代、音楽はいつも身近に

――七林小学校時代には子ども記者として、ソウルオリンピック金メダリスト(背泳)の鈴木大地選手を取材されたことがとても印象に残っています。どんなお子さんだったんですか

小学生の頃はとても活発でした。ガールスカウトを小学1年生から高校生まで続けて、船橋の公園や集会所、商店街など色々な場所で活動していました。

――お気に入りのスポットなど印象に残っていることはありますか
ワンパク王国(現・ふなばしアンデルセン公園)では、その広さに感動したことを覚えています。それから、ららぽーとに友達と買い物に行くのが楽しみでした。

――音楽は子どもの頃から好きだったんですか
小さい頃から父親が童謡をよく歌っていたので、一緒にピアノを弾いて歌っていました。
5歳でピアノを習い始めて、自然と音楽が身近になりました。
小学校では器楽部でトランペットを担当していました。中学から高校時代は、船橋ジュニアオーケストラに所属していました。ジュニアオーケストラで、平成6年にデンマーク・オーデンセ市で開催された姉妹都市提携5周年記念演奏会に行ったことは本当に忘れられない思い出です。

――シンガーソングライターになろうと思ったきっかけはどのようなことからだったのでしょうか
高校生の頃、友人が自分で曲を作りギターを弾いて歌っていたのを聞いて、”私もやってみたい!”と、ピアノで曲を作ってみたのがきっかけでした。 船橋駅の楽器屋さんに、ヤマハティーンズミュージックのオーディションのチラシが貼ってあり、応募してみたところ千葉ブロックまで勝ち進めたことが、自分の自信になって、夢を追うようになりました。

厳しかった下積み時代、転機となったのは地元での路上ライブ

――デビューまではどのような活動をされていたのでしょうか
20歳の頃ライブハウスで歌い始めました。なかなか上手くいかずに、”デビューしたい”という気持ちが空回りしていました。大学卒業後も近所のお寿司屋さんでアルバイトしながらライブ活動を続けていたのですが、26歳の頃に”このままじゃダメだ”と思い、自分の実力を試してみようと路上ライブに挑戦するようになりました。

――当初は新宿や渋谷、代々木公園で歌っていたんですよね
とにかく人通りが多い場所を求めて、一人でキーボードやアンプなど重い機材をもって電車で移動していました。新宿や渋谷で路上ライブをして、そのまま電車で津田沼まで帰るという毎日を送っていました。

――体力的にも相当大変だったのではないかと思います。続けられた原動力は何だったのでしょうか
年齢的にも、”もうこれでダメなら後がない!”と思っていましたし、失うものも無かったので 無我夢中でした。 原動力となったのは、やはり目の前の人が自分の歌で感動してくれて、次々と足を止めて私の歌を聞いてくれたことですね。

――地元・津田沼駅では当初路上ライブをやっていなかったんですよね?どうしてやらなかったんですか
”知っている人が通ったら恥ずかしい”と初めは躊躇していたんです。初めて津田沼駅でライブをした日は、都内でできる場所が見つからず、けれどもパソコンで焼いた自主制作のCDがリュックに残っていて、帰ってきた津田沼駅でどうしようか悩みました。とにかく、そのCDを全部売るまでは帰らないと決めて思い切ってやることにしました。

――反応はどうでしたか
それまでにはない、すごい反響がありました。人通りが多いという理由で都内を選んでいたのですが、帰宅を急いでいたりと、みんな歩くスピー ドも速く、また、まちも賑やかで歌声がかき消されてしまうのですが、津田沼駅は仕事や学校から帰ってくる人が多く、ふと足を止めてくれて私の音楽が届きやすいのだと感じました。

――その後、地元での路上ライブは常に人だかりができる大盛況で話題になりました。ファンの方への思いを聞かせてください
地元で路上ライブをしていなければ、今の自分はなかったと思っています。 あの時、立ち止まって見てくれた人たちのおかげです。なので、ずっと応援してくれているファンの方に恩返しをしたいと思っています。

地元への熱い思い

――3年半ぶりのコンサートを船橋から始めることへの思いを教えてください
活動を休止して色々な気持ちの整理もしつつ、”もう一度ゼロからスタート”と思っていたので、”もう一度ここから!”と生まれ育った船橋を始まりの場所に決めました。

――地元のファンも待ちに待っていたと思います。船橋市民の皆さんへメッセージをお願いします
船橋でコンサートが出来ることが本当に嬉しいです。 久しぶりすぎて緊張しますが、それ以上に、また歌えることの喜びを噛み締めて頑張りますので、ぜひコンサートに足を運んでいただけたら嬉しいです。

――最後に今後の目標を教えてください
学校の教科書に載るような、みんなが歌ってくれるような曲を作りたいです。

地元・船橋を大切に思ってくれている奥さん。”最近は北習志野のカラオケ屋さんに家族で行きました!”とのエピソードも話してくれました。 奥さんの”新しい気持ちでの「リスタート」”から目が離せません!

奥華子さん(1) 奥華子さん(2)

奥華子さんプロフィール

船橋市生まれ。七林小学校出身。
小学校時代には”子ども記者”としても活躍。
平成17年にシングル「やさしい花」でメジャーデビュー。
アニメ映画『時をかける少女』の主題歌「ガーネット」や、映画『殺さない彼と死なない彼女』の主題歌「はなびら」から「お部屋探し MAST」 などのCMソングまで。幅広い音楽制作をしている。

船橋市役所を訪問!

市役所訪問1 サイン

6月28日、3年半ぶりとなるコンサート「リスタート」を開催した奥華子さんが、活動再開を市長に報告するため、船橋市役所を訪問しました。

奥華子さんは「自分が生まれ育ち、たくさんの思い出がある船橋で“リスタート” したいと考えていました。市民文化ホールでライブを行うことができて本当に嬉しく思います。今回のライブでは、たくさんの方が盛り上げてくださり、やっぱりライブはいいなあと思いました。また、皆さんが私のことを待っていたという気持ちが伝わってきて、歌いながら泣きそうになるくらい嬉しかったです。 ライブはもともと船橋と大阪でしか考えていませんでしたが、皆さんのおかげでもっと歌いたいという気持ちになり、名古屋や横浜での公演を決めました。ファンの皆さんのありがたみを感じましたし、一番信じられる存在だと改めて思いました。これからも地元やファンの皆さんに恩返しができるよう活動していきたいです」と思いを語りました。

市長からは「地元で“リスタート”していただき、大変嬉しく思います。小学生のころから、船橋の活動に参加していただき、色んなところに関わってくれているんだなと感じました。船橋で演奏する機会があれば、ぜひお願いします」と感謝の気持ちを伝えました。

奥華子さんの歌には、地元で過ごした船橋での思いが歌われているので、皆さんもぜひ聞きに行ってみてはいかがでしょうか。