船橋出身の濱村ゆかり選手がJDリーグ初代MVPに輝く!

更新日:令和5(2023)年1月12日(木曜日)

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ソフトボールの日本最高峰のリーグとしてスタートした新リーグである『JDリーグ』で、ビックカメラ高崎が初代王者として輝きました。

北京・東京オリンピック金メダリストの上野投手など日本を代表する選手を数多く有する同チームを、エースとして牽引したのが、船橋出身(八木が谷北小・八木が谷中)の濱村選手。

“火の玉ストレート”の異名をもつ最速111キロのストレートと今シーズンに磨きあげた“ライズボール”と“シュート”を武器に21試合に登板し、13勝2敗、防御率0.81(最優秀防御率)の成績で、チームのレギュラーシーズン東地区1位に貢献。

さらにプレーオフ(優勝決定戦)では、準決勝と決勝を一人で投げ抜く完投勝利でチームを初代女王に導き東地区MVPを獲得しました。

今後、リーグ2連覇を目指すチームの中心として活躍が期待される濱村選手にインタ ビュー をしてきました!

濱村選手(1)

JDリーグとは?

2022年春から新たに開幕したJDリーグ(Japan Diamond Softball League)は、
16のチームが東西2つの地区に分かれて、各チーム29試合のレギュラーシーズンを戦います。両地区の上位3チームずつと勝率の高い1チームの合わせて7チームによるトーナメント方式によるプレーオフが行われ、年間王者が決まります。

濱村選手へインタビュー🎤

濱村選手(2)

チームのエースとしてシーズンを通して大活躍!

━━今シーズンを振り返っていかがでしたか?

チームの大黒柱でもある上野さんが本調子ではないことや、チームにピッチャーが少なかったということもあり、「自分がしっかりしないといけない」という気持ちで臨みました。

━━1年間を通して活躍できた秘訣は?

1週間に2試合あり、調子がいい時も悪い時もありました。
その中でも、“自分の感覚”を信じて練習や試合に取り組めたことが、今シーズン活躍できた要因かなと思っています。
周りから見たらいつも通りに見えていても、自分の中で違うなと思った時はそのままにせず、練習の中で良い感覚を取り戻せるように心掛けていました。
また、現状に満足することなく新しい投げ方や体の使い方を求め、常に様々なことに挑戦してきたことも、良い結果につながったのかなと思います。

━━プレーオフの準決勝、決勝と2連投になりましたがどうでしたか?

昨年も先発はしていましたが、完投することはできませんでした。
今年は大事な試合で1試合を任せてもらい、完投することができたことは大きく成長できた点だと思います。
緊張感のある中での登板となりましたが、「準備してきたことをどうしたら出せるか」ということを意識しながら試合に臨みました。
試合中は、常に様々な状況を想定しながら、バッターに合わせた投球をすることができたました。

━━MVP受賞については?

選ばれたときはびっくりしましたが、嬉しかったです。
目立つのはあまり得意ではないので、授賞式の時は緊張しました…(笑)。

兄の影響で野球をスタート!(八木が谷北小学校~八木が谷中学校~木更津総合高校)

━━ソフトボールを始めたきっかけは?

小さい頃から、よく兄と一緒に遊んでいて、
兄が野球を始めたタイミングで、私が小学3年生の時に、地元(八木が谷)の少年野球チーム「さざんかポニーズ」に入りました。
小学校の頃は、ピッチャーやファースト、センターなどを守っていて野球の楽しさを知ることができました!

濱村選手(3)

━━ソフトボールはいつから始めましたか?

始めたのは八木が谷中学校に入学してからです。
野球をやっていたこともあり、中学校ではソフトボールをやりたいと思っていました。

━━中学時代にはどのようなことを教わりましたか?

当時指導をしていただいた顧問の金坂先生からは、とにかく基礎の大切さを学びました。
先生自身も練習方法などを他の指導者に聞いてくれたり、調べてくれたりして、選手のことを第一に考えアドバイスをしてくれました。
今でもつながりがあり、シーズン終わりには連絡を取ったりしています。

━━ピッチャーを志望した理由は?

チームにピッチャーをやる人がいなかったのが始まりでした(笑)。
チームの1年生が全員集められて、一人ずつピッチャーをやったのですが、その中でたまたま自分がうまくできたということで、1年生の11月くらいから真剣に取り組み始めました。

━━中学時代で印象に残っていることは?

中学3年生の時に、関東大会に出場することができたことです。
入ったばかりの頃は、初心者も多くキャッチボールなども上手くできていなかったチームが、ここまで成長できたことが何よりも嬉しかったです。
また、中学1年生の頃に初めてピッチャーに取り組み始めたことが、今の自分につながっているので、大きな転機だったと思っています。

━━木更津総合高校に進学した理由は?

中学3年生で参加した全国女子ジュニア育成研修会(NTS U-16)で最優秀選手に選ばれたのがきっかけで、たくさんの高校から声をかけていただきました。その中で木更津総合高校が一番自分を高められると思ったからです。

━━初めての寮生活はどうでしたか?

特に困ったことなどはありませんでした。
全国から集まったレベルの高い選手たちがいて、切磋琢磨しながら高校生活を送ることができました。

━━高校時代で印象に残っていることは?

全国選抜大会で優勝できたことです。
初めての全国制覇で、大切な仲間たちと優勝できたことがとても嬉しかったです。

あとは、応援するときの応援歌の種類が100曲くらいあって、1年生の時はそれを覚えるのが練習より大変でした!(笑)

さらに高みを目指して

━━高校卒業後、社会人チームを選んだ理由は?

当時、ビックカメラ高崎の前身であるルネサス高崎の宇津木監督が声をかけてくださったことがきっかけです。
高校を卒業した後は、実業団でプレーしたいとは思っていましたが、選び方がわからず、高校時代の渡辺監督に相談していました。

濱村選手(4)

━━当時から日本一のチームでしたが、入団に不安は?

不安はあまりなく、楽しみという気持ちが大きかったです。
いざ入団してみると、もともと日本でもトップの選手たちが朝から晩まで練習していて、衝撃を受けました。
また、練習一つ一つの質も高く、求められているレベルの高さを知りました。

━━今後の目標は?

目の前の一試合に勝つため、チームのために必死に努力し続けていきたいと思います。

船橋での思い出

━━中学校まで船橋にいたということで、何か思い出はありますか?

さざんかポニーズ時代のグラウンドは一番の思い出の場所です。
友達と「ららぽーと」に買い物へ行っていました!

━━船橋といえば!?

梨がおいしいので、みなさんもいっぱい食べてほしいです!(笑)

濱村ゆかり選手 プロフィール

1995年6月23日生/27歳/171cm/右投右打

八木が谷北小/八木が谷中/木更津総合高