映画「20歳のソウル」公開記念!スペシャル対談
映画「20歳のソウル」公開記念!スペシャル対談
ふなばしCITYNEWSでは、映画「20歳のソウル」の公開記念として、主人公浅野大義さんの恩師である高橋健一先生と、当時の同級生や現役の吹奏楽部部長のインタビューを放送しています。
ここでは、放送しきれなかった未公開部分を含めインタビュー内容を一挙ご紹介。
大義さんと共に歩んできた部員達が当時の思い出を振り返り、20歳のソウルの誕生秘話や告別式での思いなど、ここでしか見られないエピソードを語っています.✧゜
対談メンバー
左から
河上優奈さん…市船吹奏楽部OG。当時の部長。
高橋健一先生…市船吹奏楽部顧問。大義さんの恩師。
山田千裕さん…市船吹奏楽部現部長。
池田有輝さん…市船吹奏楽部OB。大義さんの親友・戦友。
映画を鑑賞して
―まずは、映画をご覧になった感想をお聞かせいただけますか?
高橋)大義が亡くなった後すぐに、私が必死に打ったラインと全く同じ内容が映画の後半に出てくるんです。そのあと、河上さんたちが、楽器を集めたり楽譜を用意したりするシーンがあるんですけど、そのシーンまでは冷静を保てたのですが、当時の情景が重なってしまい、それ以降は映画として見ることができずダメ(涙を堪えきれません)でしたね。
河上)映画の中に”今”というワードが沢山でてきます。”終わりのある中で今をどう生きるのか”現役の頃に高橋先生が私たちに伝え続けてくださったことでした。映画を見て改めて、今を一生懸命生きるとはどういうことなのか、深く考えさせられました。
―河上さんは、映画の中でも当時の部長(モデル)として登場されているわけですが、どうご覧になりましたか?
河上)実際は、あんなにしっかりはしていませんでした(笑)私が練習中に言い争うことはなかったので、新鮮な気持ちで見ていましたね。告別式の準備をするシーンでは、大義を送り出すために頑張った大切な1週間を思い出しました。
戦友・大義さんへの思い
―池田さんは、大義さんととても親しかったと聞いていますが
池田)そうですね。ずっと一緒にいましたし、彼もピアノが弾けて曲が作れたので、ライバル意識みたいなものもありつつ(笑)一緒にアイススケートをしたり出かけたりもしました
高橋)なんでアイススケートなの(笑)
河上)なんで?急に?(笑)
池田)滑りに行くか~とアイススケートに行くことになって(笑)当日は、サングラスをかけてくるというかっこつけた一面もあったりして(笑)やはりここでも大好きなコーラを飲んでいました(笑)
(映画の様々なシーンにコーラが登場します)
―池田さんは、これから映画をご覧になるということですが…
池田)今、私は中学の教師をしているのですが、自分のクラスの生徒でも、朝の読書の時間に「20歳のソウル」を読んでいるのを見かけることがあります。物語が身近にありながら、僕個人としては、元々の大義を知っているので、正直、まだ小説を読んだり映画を見たりする勇気がないんです。当時は20歳で若かったですし、現実を受け入れられませんでした。今は、歳を重ねて当時感じなかったことを感じるようになって…。私が過ごしてきた6年間は彼にはないのだなと。食べるものや出会う人、仕事も、本当は大義も経験できる時間だったのだと思うと、なかなか映画を観る勇気がでないのが正直なところです。
でも、きっと映画を観たら大義がどういう人物だったのか、結びつく部分があると思うので、心の準備ができたら是非観たいと思っています。
本の表紙(神尾楓珠さん)が大義にそっくりで…
―つい最近、本の表紙が神尾楓珠さんになりましたよね
高橋)姿かたちはそっくりだよね、目は違うけど(笑)
河上)たしかに、華奢なのでシルエットがそっくりですよね。
池田)本当にそっくり。骨格が似ています。
高橋)撮影中もトロンボーンを構える姿を見て、何度も大義なんじゃないかって思うくらいそっくりでしたね。ただ、あんなにかっこよくはないけど!(笑)
一同)笑い
撮影から2年「大義先輩が誇らしい」
―山田さんも撮影に参加されていたそうですが、どんなお気持ちですか?
山田)1年生の時に撮影に参加させていただいていたのですが、映画が完成して公開が近づくと、あれからもう2年も経ったのだなと思います。
直接会ったことのない大義先輩が、当時どんな人だったのかは撮影開始当初はイメージができなかったのですが、撮影を重ねていくにつれて人柄が分かり、こんなに素敵な人だったのだなと、心が温まり誇らしい気持ちになりました。
市船OB・OGの力
―市船吹奏楽部OBの皆さんは、卒業してからも繋がりが続いていくと伺っていましたが、池田さんもよく足を運ばれるそうですね
池田)お手伝いできることはしたいと思っています。自分たちが先輩方の手助けで活動できていたのが大いにあるので、そういうふうに輪としてつないでいけたら、今の高校生たちが精いっぱい活動できるように、何かできることがあればできる限りさせていただきたいと思っています。
大義と同じ"教師"という道へ
高橋)当時、大義は教師になりたかったけれど、池田君は教師になる予定ではなかったんです。大義は20歳で亡くなって、志を果たすことができなかったけれど、同じように音楽を愛する池田君が教師になり、今は法田中学校で吹奏楽部の顧問になったんです。
実は、私も法田中が初任で、池田くんが今座っている席の位置が全く一緒なんです。
池田)本当に一緒です(笑)
高橋)これをきっと大義は喜んでいるんだろうなと。皮肉であり、不思議で複雑な気持ちになりました。
―池田さんは、どうして教員になろうと思ったのですか?
池田)大義が学生だったとき、楽器店でのアルバイトに憧れがあるのは知っていて、それとは関係なく、僕が楽器店に就職したんですね。そのあとすぐに亡くなったんですけど。その数日前に大義に会って、「楽器店に就職したよ」って報告したら、ほとんど話せない状態だったのですが、親指を立てて(グッドの意味)くれて。「必要なものがあったら安く買えるから何かあったら言ってよ」というのが最後の会話でした。
それで、楽器店に就職してからも、音楽をやっていないといてもたってもいられなくなってしまって、先生に相談に行ったんです。
最後は「教員が良いんじゃない」という先生の一言が決め手でした。
彼とは真逆(の性格)だったけれど、生きていたら不思議と同じ道を歩んでいただろうなと思っています。なぜか歩む道が重なっていくというか。
高橋)私は、大義がそう導いているように思ってしまうんです。実際、彼(池田君)はとても教員に向いていて、天職に近いし、彼の才能が発揮できると思います。
池田)ありがたいですね。今、教員の仕事が楽しいですし、あと「音楽の教員」っていうところまで大義と同じですね。
河上)不思議ですよね。全部大義の仕業なんじゃないかなと思ってしまいます。
「この代は一番印象に残っています」
―大勢の生徒さんがいいらっしゃる中での大義さんの記憶は?
高橋)この代(大義さんの学年)は、印象的過ぎて記憶が鮮明です。色んなことがあったので。私、当時7~8キロくらい痩せたんですよ(笑)
河上)私たちの代は本当に大変だったので(笑)
池田)レベルが違いますよね。
高橋)ここでは言えない話がたくさんあるよな(笑)
河上)先生には本当に申し訳ない気持ちです(笑)人数も一番少なく、個性も強かったので。
高橋)そういう意味でも一番印象に残っている代ですね。
「市船soul」に込められた思い
―「市船soul」が誕生したときのお話を是非お聞きしたいです
高橋)大義は良い意味で目立ちたがり屋だったので、市船に存在していたという足跡を残したくて、また純粋に野球部を応援したいという気持ちもあって、あの曲が生まれたんだと思います。最初見たときは、曲が長く金管楽器が疲れてしまうと思ったので、間に打楽器を入れたのを覚えています。
―「市船soul」を初めて演奏した時の事を覚えていますか
池田)ある日、何故か大きなバツが書かれている譜面が配られたんです。それを大義が作ったものとはその時わからなくて、吹いてみたらすごく音が高いなと思いました。この音がよく鳴る(響く)んですよね。
高橋)音が鳴るっていうのは野球応援で大事なことなんです。
池田)曲の最初は短調(暗め)で始まるんですけど、最後の和音が長調(明るめ)で、今思うと、それは彼が趣向を凝らした工夫だったんだなと思います。
高橋)短調って自分を顧みる力になるというか。自分のクラスの野球部の子が、バッターに立った時「市船soul」が流れると、切ないメロディーが自分に(ベクトルが)向いて、奮い立つものがあるそうなんです。何故かわからないけど自分に向くと言っていましたね。
―今では全国的に有名な「市船soul」そんな状況をどう思いますか
河上)当時は想像もしていなかったと思います。映画をきっかけに、更に多くの人達に「市船soul」を通じた大義の想いが届いてくれたら良いなと思います。
高橋)私は、人間は二度死ぬと思っているんです。一つは肉体が滅びる死。もう一つは人々の記憶から消えていく死。市船が存在する限り「市船soul」と浅野大義は忘れられない。大義は二度目の死を迎えることはないと思います。
奇跡の告別式は"必然"だった
―高橋先生は、どんな思いで「演奏しよう」とLINEを送ったのでしょうか
高橋)私は大義じゃなかったとしても時間があったら同じことをしたと思います。
火葬までの期間を聞いたときに、演奏しようと思いました。大義だったからという特別感ではなく、それよりも一週間という期間があったからこそ、これは演奏しようと思い立ちました。これが3日間しかなかったら不可能だったと思います。
市船吹奏楽部の子たちの絆を考えれば(当然のことです)。それは(脚本家の)中井由梨子さんも取材を通して「最終的にこれは市船にとって特別なことじゃなくて”必然”だったんですね。やっとわかりました。」と仰っていました。
ただ、浅野大義という一人の人間の魅力、人間性があったのは間違いないとは思います。だからこそ、大義と関わりのあった代が大勢集まったのはあると思います。
―実際には河上さんが164名を取りまとめたということですが
河上)びっくりですよね。その当時、お仕事されている方もいて皆都合がつかない中で、それだけ集まったというのは、改めて市船の繋がりの強さを感じました。
山田)私も市船に入学する前とは想像できないくらい(部員同士)深い関わりを持つので、みんなで演奏したのはすごいとは思ったのですが、(市船の繋がりの強さを考えれば)驚きはしませんでした。
河上)市船吹奏楽部の部員にとっては当たり前というか、勝手に体が動くじゃないけど、そんな感じでしたね。
これから映画を見る方へメッセージ
山田)何代も上の先輩ですけど、代が変わっても市船の繋がりの強さや雰囲気は今も変わっていないと思うので、市船の良いところを感じてくださったら嬉しいなと思います。私にとっても「市船soul」は特別なものなので、映画という形で日本のみなさんに届くのが嬉しいです。友達の感想を聞くのも楽しみです。
池田)実際に過ごした大義との時間もそうですし、小説も映画も、本質は変わらないと思っていて、好きなことを精いっぱいできることの尊さを、大義は教えてくれているんだと思います。人間いつかは死にますので、有限のなかで自分の好きなことが精いっぱいできることがこんなに良いことなんだとみている人が思ってくれたら大義も嬉しいと思います。
河上)希望を与えてもらえる映画だと思っていて、生きていると辛いことも沢山あると思うのですが、そんな時でも、悩んでいることが大したことないなと笑顔になれるような、大義が生き切った姿に背中を押してもらえる映画になっていると思うので、是非多くの方に見ていただけたらなと思います。
高橋先生)私は教員生活で生徒に「今しかない」ということを伝え続けてきました。未来はやがてくる今だし、過去は今の積み重ねだし、結局“今しかない”ということを大義が命を懸けて教えてくれた映画なのかなと思います。我々が生きているのは今この瞬間でしかないので、そこを精一杯生きる、それが実はめちゃくちゃ楽しいことなんだということを感じ取ってほしいと思います。
(おまけ)収録後の談笑シーン
市船の音楽室の壁一面は代々受け継がれてきた"卵パック"で埋め尽くされています!
練習時に音が響かないようにするための工夫だそう。
映画にも登場するのでお見逃しなく!