【子ども記者通信】この夏の私の問題発見・問題解決物語~ふなばし推し活プロジェクト~(法典東小学校 菅 桜子さん)

更新日:令和7(2025)年9月18日(木曜日)

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法田東小学校 菅 桜子

 皆さんは「行田無線塔(船橋海軍無線電信所)」というものを知っていますか。
 私は、この夏の自由研究で、船橋市の魅力をより多くの人に伝えたいと考え、アピールできるものを探しました。平和記念式典の「平和への誓い」を聞いて「行田無線塔」について、調べてまとめることにしました。
 「行田無線塔」は、1915(大正4)年に海軍の送信所として、主塔が約200メートル、円形上に副塔が18基、建てられました。その姿は「傘の如し」といわれるように、まるで巨大な傘を差した様子に例えられていました。1916(大正5)年11月16日には、アメリカのウィルソン大統領が大正天皇に祝電を寄せ、その答礼に天皇のメッセージが、ハワイの中継局を通じて大統領に返電されました。また、1941(昭和16)年12月8日の「ニイタカヤマノボレ」という真珠湾攻撃の暗号電文を発信したのも、この無線塔でした。無線塔は、1971(昭和46)年に解体され、現在は記念碑のみが行田公園にあります。2008(平成20)年に「近代化産業遺産」として、船橋市の無線通信関連遺産が認定されました。歴史的価値をより明らかにし、地域の活性化に役立てることを目的としています。
 私は、行田公園に行って、実際に調べました。公園としては整備されていましたが、歴史的な意味の整備は、記念のモニュメントと案内板だけでした。郷土資料館には展示と説明がありましたが、職員の人に聞いたところ、現在は取り壊されているため、保存整備ができないということでした。私は、こうした事実を多くの人に伝えなくてはいけないと思い「行田無線塔」を伝える「ふなばし推し活プロジェクト」を立ち上げました。内容は、(1)自由研究での発信(2)子ども児童記者として発信(3)行田無線塔のキャラクターを創って発信(4)行田無線塔の歌を創って発信です。
 より多くの人にこの「行田無線塔」を知ってもらいたいと思います。

(令和7年8月31日投稿)

船橋無線塔記念碑と私
▲船橋無線塔記念碑と私
郷土資料館での展示
▲郷土資料館での展示

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