【子ども記者通信】西安・船橋交流(船橋中学校 賞雅 如倫さん)

更新日:令和6(2024)年8月1日(木曜日)

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賞雅 如倫

 平成6年(1994年)に中国の西安市と「姉妹・友好都市提携」が結ばれました。それに伴い船橋中学校では西安育才中学との交流が開始しました。
 7月9日(火曜日)は交流30周年目の記念すべき日です。そして「教育間での文化交流をし、友好関係を築く」という目的で交流会が行われました。
 私にとって中国とは歴史、経済、文化など非常に結びつきの深い国という印象がありました。もともとは遣隋使、遣唐使の時代から日本が積極的に中国の文化を取り入れる形で始まった交流ですが、日清戦争や日中戦争を機に、いまだに「歴史認識」をめぐる相互理解の関係性は決して友好とは言えない現実があります。そのような社会的背景を受け、私も中国に対して少しネガティブなイメージがありました。
 しかし、今回の交流会を通じそのイメージは払しょくされ、むしろこれから私達の世代が、未来に向けて両国の友好関係の構築に希望を持って取り組んでいくべきではないかと強く感じました。
 西安育才中学の生徒をお迎えするにあたり、事前に「船橋市と西安市ではなく、西安市と船橋市の順番にしてください」「国旗は、右手は中国、左手は日本を持つように」と何度も確認をされました。これは相手国に敬意を表すためです。私は正直とても緊張しました。「万が一失礼があったら、私達は受け入れてもらえないのではないか」「日本に対して否定的な意識を持たれないだろうか」そのような不安でいっぱいでした。
 しかし、実際にお会いしてみると、そのような不安は一気に解消されました。「おはようございます」「こんにちは」と笑顔で丁寧に挨拶してくれた日本語からは、この日のために日本語を勉強してきてくれたこと、この日を楽しみにしてきてくれたことがとても伝わってきました。
 全校生徒による「歓迎会」では演劇部・ダンス部・管弦楽部の発表をとても熱心に真剣に観てくれました。その眼差しから、私達を積極的に理解してくれようとする気持ちが感じられ、私はとても嬉しく思いました。
 生徒同士の交流活動の場においても、何度も私達に「謝謝(中国語で「ありがとう」という意味)」と感謝の気持ちを伝えてくれました。
 西安の生徒による中国の伝統的な演舞では、その滑らかな身体の動きと美しさに魅了されました。また、頂いた中国のお土産(京劇の切り絵)を拝見し、その繊細さと独特のデザインから、日本の芸術や文化との違いを感じることができました。
 この時間は、普段の生活では触れることができない、生の中国文化に触れることができた貴重な時間でした。そしてこの交流会を通じ、それまで「中国」に対して抱いていた私の印象が、ただの「先入観」にすぎないことに気づかされたのでした。
 西安育才中学の先生は「世界とつながることは学校の発展にとってとても大切なことです。これまでの30年間、船橋市とはたくさんの交流をしてきました。今回の交流も忘れられない体験になりました。これからも両方の積極的な並び合いで、仲良くなり、中日の良好関係が長く続くことを願っています。」と言っていました。
 私はこの話を聞き、私達の世代が相互理解を深めることの大切さを感じました。この「相互理解」とは完全なる同調ではありません。「相手を理解しようとする歩み寄り」の姿勢です。私はその姿勢こそがとても大切なのではないかと思いました。
 今回の交流の中では、言語だけでなく、文化や歴史による生活習慣や価値観の違いを実感する場面が多々ありました。例えば、中国では学校で上履きを使用する習慣が無いため、用意が有りません。また、飲み物は常温で飲みます。そのような生活習慣の違いを踏まえ、私たちはスリッパを用意し、飲料水はあえて冷蔵庫保管しないなどちょっとした気遣いをもって準備をしました。
 この生活習慣についてどちらが正しいということではありません。様々な国の歴史的背景により築き上げられてきた文化や生活習慣は、どの国においても大切な誇りであり、財産であると私は思っています。だからこそその違いを理解し、尊重し合う姿勢が大切ではないか思いました。
 もちろん長い歴史の中には、暗い傷痕やマイナスなイメージもたくさんあります。しかし、そこにばかりとらわれるのではなく、互いの良いところに目を向け、より良い関係性を築き上げていくことが、私たちの務めではないかと感じました。これは、軽率な意識で、単なる綺麗事(きれいごと)を語りたいのではありません。確かに、理解しようという意識はあっても、私には過去の戦争による深い悲しみも、国交や経済、安全保障における不安も、実体験でないことや勉強不足により認識の甘さがあるとは思います。だからと言って、後ろ向きの姿勢に収まるのではく、「だからこそ」私たちは、希望を持って国同士の「相互理解」に、希望を持って励みたいと思いました。
 このような交流会が開催されるにあたり、私たちは良いとこばかりを見るのではありません。過去の苦しみも、現在の懸念も知ることになるのです。そして、そのような機会が得られるからこそ、そこから目を背けるのではなく、その上で私達がどう前を向くかを考える必要があると私は思いました。
 昭和53年(1978年)には日中平和友好条約が結ばれ、中国と日本の国交が正式に回復しました。しかし、今もなお戦争の傷は完全に癒えたわけではありません。そして、そこから生まれる偏見は薄れつつあるものの、今の私達の年代にも少なからず影響を及ぼしています。今私達がすべきことは、過去を忘れることではありません。また、現在両国における多様な問題を見過ごすことでもありません。今、目の前にある西安の皆さんの笑顔や眼差しを見て、私は純粋に「仲良くなりたい」と思いました。そして、日本と中国も同じように仲良くなってほしいと思いました。
 たくさんの「違い」がありながらも、この日、私達と西安の皆さんは、お互いの立場を理解しようと、少しずつ自分達を表現し、相手に心を寄せ、感謝の気持ちを持って過ごしました。わずかではありますが、この貴重な時間と思いが、少しずつ積み重なり、手をつなぎ、国と国との友好関係へと広がっていくことを私は望んでいます。
 最後に、西安の皆さんへ「謝謝 再来」

(令和6年8月1日投稿)

 ▼当日の交流会の様子
全体本人

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