船橋市立
大穴中学校
- 〒274-0067千葉県船橋市大穴南3-19-2
- 047-462-3117
大穴中トリビア
大穴中学校の始まり
大穴中学校は昭和54年の4月に、古和釜中学校が県内第二のマンモス校となり、学級数が42クラスと増加したため、これを解消する目的で分離開校しました。学級数23、生徒数963名のスタートでした。掲載されている写真は第一回入学式のものです。この写真を見ると、まだ工事中であったことがよくわかります。また、当時全員が同じ制服ではなく、私服の生徒がいたこともわかります。これは新しい学校のため、女子の制服がまだなかったことからこのような形になりました。
まだ工事中です・・・ グラウンドも工事中! なんで私服なんだろう?
校庭を埋め尽くす生徒
39学級1676人。昭和60年度の大穴中学校の学級数と生徒数です。平成25年度は16学級494人となっています。写真は昔の大穴中学校の体育祭の写真です。校庭にはところ狭しと生徒たちが並び準備運動をしています。現在も体育祭は行われていますが、ここまでの光景はさすがに見られません。
大穴中の制服
創立当時、大穴中には制服がありませんでした。しかし、アンケートをとると、生徒と保護者の90%以上が制服を希望したそうです。そこで、校長先生、教頭先生、教務主任、美術の先生、家庭科の先生と、学級から1名ずつ選出されたPTA制服委員がアンケートを参考に制服を定めることになりました。女子セーラー服の白い線は汚れやすいからと、襟の線とスカーフはスクールカラーの明るい紺(花紺)に決まり、当時脇開きが普通だったセーラー服を、着脱が楽なように前開きにしたそうです。
大穴中の昔の昼食
一番左の写真は、昔の大穴中学校のアルバム写真です。さて、この写真には現在大穴中学校にあるものがいくつかありません。わかりますか?これは現在武道館が建てられている場所から撮った写真です。当時はテニスコートでした。そこから校舎を見ているわけですが、校舎手前に給食調理室がありません。当時はまだ給食はなく、お弁当を持参したり、近くのお店(伊藤パンさん 生徒の間では「いとパン」の名で親しまれていました)で購入して食事をとっていたようです。
↑クリックすると画像はそれぞれ大きくなります。 武道室建築中 左手前のお店で昼食を購入していました。
大穴中学校 航空写真 第4回卒業アルバムより
大穴中学校の第4回卒業アルバムに載っている航空写真です。当時の学校やその周りの様子がよく分かる資料です。赤色の枠の部分には現在の校舎が建っている場所です。生徒数が増加したために、校舎を新たに建築しています。青色の枠の部分は現在斜めに道ができていますが、当時は土手のように整備されていました。また、校庭の大穴川沿いのネットもまだできていないことが写真からわかります。
大穴中学校の在籍生徒数の変化
9920名…この数字は、創立から平成25年の春までに大穴中学校を卒業していった生徒の人数です。一時は、39学級、在籍数が1600人を超え、県内で最大の生徒数を争うようなマンモス校だった大穴中学校も、現在では毎年500人前後で推移し、市内27校中 15番目の大きさの中規模校になっています。一番多かったときは、今のランチルームなども普通教室として使われており、体育館に全校生徒が入るのも大変だったそうです。
大穴中学校の武道館・プールとテニスコート
写真は大穴中学校の10周年のときに撮影した航空記念写真です。この写真を見ると、現在、学校にあってないものや昔はあったけれども現在はなくなっているものなどがあります。青色の枠で囲った部分を見てみると学校の敷地内にテニスコートがあります。この場所は現在武道館とプールがある場所です。武道館とプールが平成元年に完成したため、テニスコートは赤色の枠の部分に移されました。このように、学校の施設が開校当時と比べて、現在の施設・設備へと徐々に整えられていったのです。
大穴中学校10周年航空写真 現在の武道館
大穴中と花の会
平成3年、当時生徒指導が困難だった大穴中を何とかしようと学校と保護者が知恵を絞り「花の会」が誕生しました。学校中を季節の美しい花で彩ることで子供たちの心を育み、保護者は、花の手入れで気軽に学校を訪れることで、子供たちを厳しく監視するのではなく、温かく見守り、より深く理解することができました。この思いは受け継がれ、現在も活発に活動を続けています。
校舎内の至るところに花が飾られています 創立三十周年記念誌「おおあな」船橋市立大穴中学校