明治時代の船橋は、陸軍の演習場があったため軍都として発展しました。また、明治中期から大正にかけて鉄道網が発達すると、一時的に寂れていた船橋の町は活気を取り戻しました。
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習志野演習場東南に、明治30年代に設置された騎兵第13~16連隊の兵舎があった。現在は、日大・東邦大の敷地(明治41年)
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海軍無線電信所。現在の行田団地一帯に設置された(大正4年)
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習志野演習場演習風景。現在の習志野台、薬円台、習志野、東習志野は、明治~終戦まで陸軍の演習場だった(大正4年)
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三田浜塩田。現在の市役所周辺は、明治初期から昭和4年まで三田浜と呼ばれる塩田だった(大正中期)
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船橋大神宮階段から眺める本町通り(大正中期)
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船橋海水浴場。海水浴と潮干狩りで知られた船橋海岸は、東京下町から最も手軽に来ることができた(大正末期~昭和初期)
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海楽園入口。京成大神宮下駅から海まで徒歩で数分の距離だった(大正末期~昭和初期)
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昭和初期の海老川河口と船橋漁港
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京成船橋駅。大正5年に京成電気軌道が船橋まで延伸された(昭和初期)
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本町通りの中央付近(昭和初期)