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昭和から現在
船橋市の歴史をひろみさんが紹介します

ひろみさん
大学生。
船橋市に住んでいる。
みさきちゃんたちのおとなりさん。

みさきちゃん
小学校5年生。
ゆうとくんのお姉さん

ゆうとくん
小学校3年生。
みさきちゃんの弟(おとうと)
昭和時代→平成、現在
昭和時代1926年~1989年
とくちょう
太平洋戦争がありました。戦後、民主主義の国になり、経済がぐんぐん成長しました。
ゆうめいな人
湯川秀樹
日本人で初めてノーベル賞を受賞しました。(1949年、ノーベル物理学賞)
太宰治
小説家。『人間失格』『走れメロス』の作者だよ。船橋にも住んでいたことがありました。
平成 1989年~
現在です。
通りの左側の洋館は川崎第百銀行支店(今の東京三菱銀行支店) |
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船橋市の誕生 | |
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昭和に入ってようやく船橋市が誕生するよ。 |
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えっだって今まで船橋市の話をしてたんじゃないの!? |
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だからー、今までひろみさんは「船橋」とか「船橋のあたり」って言い方をしてたじゃない。縄文時代に船橋市があったとでも思ってるわけ? |
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うう、みさきちゃんがバカにするよぉ、ひろみさん! |
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あはは。これまでの話は「今で言うと船橋市にあたる場所」の話をしてたんだ。市としての船橋ができたのは昭和12年(1937年)なの。千葉県では4番目の市の誕生だったんだよ。 |
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そういうことかー。 |
船橋市誕生のときの新聞号外 |
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船橋町・葛飾町・八栄村・法典村・塚田村という二つの町と三つの村が一緒になって船橋市になったんだよ。船橋町はもちろん市の名前に引き継がれたし、他の町村も今でも地名や学校の名前に残ってるよね。 |
もともとあった船橋町はオレンジ色のぶぶん。 昭和12年にできた一番はじめの船橋市は黄緑色のところ。 |
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それって今の船橋市よりせまいよね? |
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面積は今の船橋市の半分以下、人口も4万3千人くらい。 |
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4万人!?そんなに少なかったの? |
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今の10分の1もないよね。世界ではすでに第二次世界大戦がはじまっていたんだけど、その流れで、昭和16年(1941年)から日本でも戦争がはじまるの。太平洋戦争っていうんだけど、知ってるかな? |
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戦争があったのは知ってる。日本は負けたんだよね。 |
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うん、そう。その戦争のせいで船橋市の人口はどんどん増えていくよ。 |
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え、でも戦争になったら普通は人って少なくなるんじゃないの?死んじゃったりしてさ。 |
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そうだね。でも船橋には軍需工場がたくさんできて、そこで働く人が増えたり、東京から疎開でたくさんの人が引っ越してきたんだよ。 |
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ぐんじゅ工場……?そか……? |
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ごめんごめん。軍需工場っていうのは、うーんそうだね、例えば武器とか、戦争で使う物を作る工場のことだよ。 |
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あと疎開っていうのは戦争で死なないように、爆弾とかがあまり落とされない田舎に引っ越すことだよね? |
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そう、みさきちゃん解説ありがとう。この頃の船橋、特に中心部はそれほど田舎ってわけでもなかったと思うけど、不思議と空襲の被害がほとんどなかったの。結局大きな空襲はないまま戦争が終わりました。 |
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へー、なんでだろう? |
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それはよくわからない。船橋には軍隊の建物もあったのにね。船橋のまわりの東京や千葉市なんかではものすごい被害を受けてしまったけれど。 |
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有名なのは東京大空襲ね。 |
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東京は焼け野原になって、本当にたくさんの人が亡くなったんだよ。生き残った人たちも、家が燃えて無くなってしまったりして。だからほとんど被害のなかった船橋市にどんどん引っ越してきたんだ。 |
行田の無線塔 真珠湾攻撃のニイタカヤマノボレの暗号を発信したと言われる海軍の無線塔。 |
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終戦 | |
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昭和20年(1945年)の8月15日。 |
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終戦の日だね。つらかった戦争がやっとこの日に終わったんだよね。 |
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そう。でもね、つらかったのは日本人だけじゃないよ。この戦争に関係があった国の人達はみんなつらかったと思う。 |
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アメリカも?だってアメリカは勝ったじゃん。 |
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あんたねー、爆弾とか、よろこんで落としたい人がいると思う?いくら最後は勝ったとしても、人の命をうばったんだなって考えたら、普通の人はつらいでしょうよ。 |
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・・・・・・殺されるのもいやだけど、自分が他の人を殺すなんて、考えたくない。 |
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この戦争には、たくさんの国がかかわっていたよ。負けた国はもちろん、勝った国にも亡くなった人は大勢いるよ。戦争をしようと思ってたわけじゃないのに、まきこまれてしまった国もある。戦争は、勝っても負けても、必ず痛みを残していくんだ。 |
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ぼく、戦争は絶対いやだー! |
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私だっていやだけど・・・、でも、どうしようもない時もあるんじゃない? |
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考えかたは人によっていろいろあると思うよ。私自身は戦争のない平和な世の中になるといいのに、って心から思う。とてもむずかしいことだろうけどね・・・ |
闇市 | |
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戦後の日本では食べ物も洋服もいろんなものが足りなかったの。でも、前も言ったけど、船橋は戦争の被害はほとんどなかったから、近くの農村や海から食べ物がいっぱい集まったのね。食べ物があるとなると…… |
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人間も集まるわけね。 |
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そうそう。たくさんの人が船橋に買い物に来たんだよ。戦争が終わってすぐのころは、船橋は『日本の上海』と呼ばれた時期もあるの。あ、上海って知ってるよね? |
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もちろん知ってますって。中国にある大都会だよね。それぐらい活気があったってことね? |
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うん、それとね、船橋が上海にたとえられるくらい、人や物が集まったのは、闇市が有名だったからだよ。 |
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やみいちって? |
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公式じゃない、闇の市場のことだよ。船橋に集まってくる食べ物や洋服を売ったり買ったりする市場は、実は政府に認められたものじゃなかったの。 |
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え、そうなんだ・・・ |
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二人の家では食べ物はどうやって手に入れている? |
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スーパーで買っているけど。 |
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今は食べ物がいっぱいあるから、お店に行けば好きなものを買うことができるね。でも、戦後の日本は食べ物がとても不足していたから、配給制っていって、平等にするために政府から配られていたんだ。 |
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へー、配ってくれるならラッキーじゃん。闇市で買い物しなくてもいいんじゃない? |
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そりゃあいっぱい配ってくれるならいいけど、少ない食べ物を大勢の人でちょっとずつ分け合うから、全然たりなくって、みんなお腹をすかせていたんだよ。 |
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そっか・・・。 |
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認められた市場ではなかったけれど、配給だけじゃ暮らしていけないから、みんなそこで買い物をして食べ物を手に入れていたの。闇市は全国にたくさんあったけど、船橋の闇市は特に有名だったんだ。 |
船橋の発展 | |
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昭和28年と29年に二宮町と豊富村が船橋市と一緒になって、ようやく今の船橋市と同じくらいの大きさになりました。特に山林の面積が増えたんだよ。 |
昭和28年にふえた二宮町は青色の部分。 昭和29年にふえた豊富村は紫色の部分。
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昭和31年ころ(1956年ころ)から大がかりな東京湾の埋立てが始まって、その埋立地に工場が次々にできたよ。昭和40年代から50年代には大きなデパートやショッピングセンターがたくさんできて、商業戦争とまで言われたんだ。 |
東京湾に面してあった船橋ヘルスセンター(今のららぽーとのあたり) |
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住宅地の建設もすごかったよ。大きな団地が次から次へと作られたの。鉄道も新しく作られて、東京への通勤に便利になったから、たくさんの人が船橋市に引っ越してきました。 |
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人口も昭和25年(1950年)には10万だったのが、昭和58年(1983年)にはとうとう50万人をこえたよ。 |
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うわー……目が回りそう。なんかすごい勢いで変わっていったって感じ。 |
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船橋はベッドタウンだもんね。 |
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ベッドタウンって? |
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ベッドは寝るためのベッドのことだよ。住んでる人が昼間は東京に働きに行って、夜に帰ってくるからベッドタウンっていうんだよね。 |
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船橋のイメージを聞くと、みんな東京のベッドタウン、って答えるのよね。たしかにそうだけど、でもそのイメージだけじゃなくて、もっといろいろ知ってほしいなあ。 |
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ごめんごめん、今日のひろみさんの話で、船橋はいろんな面があるのがよくわかったよ。はい、ゆうとおさらい! |
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えっえーと、漁業も農業もやってるし、デパートもショッピングセンターもたくさんあるし、工場もあるし、家もいっぱいある。あと電車もね! |
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自然と都市がどっちかにかたよってるんじゃなくて、バランスよくある感じだよね。海も緑もあって、生活するのも便利だし、船橋市ってめぐまれてるのかもね。 |
これからの船橋 | |
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船橋は急に人口が増えて都市になったせいで、問題がいろいろあるよ。たとえば、太平洋戦争の空襲で町が焼けなかったのはよかったけど、そのために昔のまま、せまい道が残ってしまったんだよね。 |
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うちのママなんか車乗るといつも文句言ってるよ。 道がせまいし混んでるって。 |
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環境問題とか、住民にお年寄りが増えていく高齢化の問題もあるね。みんなが気持ちよく暮らせるように、少しずつでも解決していかないとね。 |
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船橋がどうやってできあがったのか、そんなの考えたこともなかった。たまたま住んでるだけだし、って感じだったから興味もなかったし。でも、長い歴史があって、たくさんの人がかかわって、今の船橋ができたんだねー・・・。 |
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そうだよ。ここに住んでいる私たちも、大きな歴史の中にいて、船橋にかかわっているの。私たちが未来の船橋を作っていくんだよ。 |
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もっと船橋のこと、真剣に考えてみようかって気になったよ。ありがとう、ひろみさん。 |
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うん!僕も。ひろみさんお話してくれてありがとう! |
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どういたしまして。船橋にも歴史にも、これをきっかけに興味を持ってくれたらうれしいなあ。 |
おしまい |
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