船橋市立 薬円台小学校

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子は清水・親は酒

最終更新日:平成28(2016)年2月21日(日)

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習志野原の一角に、清水をたたえた「子は清水」という池がありました。そして、むかし、むかし、この池の近くに、科屋敷(とらがやしき)という土地がありました。そこには一軒の貧しい家がありました。
この家には、父親と息子の親子が住んでいました。父親は大変働き者でしたが、大酒が好きでしたのでいつも貧乏でした。父親は、仕事から帰ってくる度に「酒を飲みてえ、酒はねえか」と、口ぐせにように息子に言いました。
あまり酒を買えない親想いの息子は、大抵あり合わせの物で夕飯を食べさせ、その後肩をたたき、足腰をもみ、寝床につかせました。
ある暑い日、父親は大層疲れきって帰って来ました。ここでいつものように言いました。「ああ、疲れだ、疲れだ。酒はねえかのー」
この疲れ切った父親の様子を見た息子は、財布に金は一文もなく途方にくれました。仕方なく大きなどんぶりを持って近くの池に行き、冷たい水をなみなみとくんで来て父親に渡しました。
父親は、このどんぶりを両手で持ち、ゴクンゴクンと美味しそうに飲みました。すると飲み終わった父親は、「これはええ酒じゃ、うめえ酒じゃ」と顔を赤く染め、上機嫌になり、それから酔いが回ってグーグーと眠ってしまいました。
これを見て不思議に想った息子は、池に行って清水を飲んでみました。しかし、息子はただの冷たい清水でした。
このことは、次の日からずーっと続きました。その後この家をだれいうとなく「子は清水、親は酒」とよぶようになったということです。

現在の子者清水(こはしみず)の風景(北習志野近隣公園内)の写真
現在の子者清水(こはしみず)の風景(北習志野近隣公園内)
 

大正時代の頃の子者清水(こはしみず)の写真
大正時代の頃の子者清水(こはしみず)