【子ども記者通信】肌で感じた飯山満台の遺跡(飯山満小学校 松井みなみさん)

更新日:令和5(2023)年3月24日(金曜日)

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飯山満小学校子ども記者

 私は前回のユルギ松遺跡に続いて、川ノ上遺跡の見学会に行ってきました。今回の川ノ上遺跡は、飯山満台遺跡群が立地する舌状台地上に位置しています。発掘調査は今年の 1 月 10日から開始しているそうで、縄文時代中期(約 4500 年前)の竪穴住居跡や貯蔵穴、ピットも見つかっていると教えてくださいました。
 また、今回見つかった遺跡よりもちょっと古い時期ですが、縄文時代で最も気温の高かった6~7千年前は今よりも2度くらい平均気温が高かったそうです。そのような温暖化の影響で海面も上昇していました。海面が上昇したことによって住居が高台に位置しているのかもしれません。その時の環境によって住む場所などを変えていたのでしょうか・・・。
 竪穴住居跡では、縄文人の暮らしの様子がイメージできるようなものがたくさんありました。住居跡の中心には赤く焼けた土があり、そこで火を使用していたということや、壁際にある溝が途切れる場所を住居の入り口にしていたのかもしれないという説明がありました。また川ノ上遺跡にムラがあったのは短期間だったようで、どこか別のところを拠点として季節が変わると移動をしていたという説も浮かんでいます。
 私は縄文人の暮らし方や知識にとても驚きました。いつか縄文時代にタイムスリップして暮らしてみたいです。
 続いて遺物です。加曾利貝塚で見つかったものと同じような時期の縄文土器が発見されたようです。しっかりと縄の模様が付いていてとても感動しました。次に石皿の説明をしてもらい、木の実を砕いて食べるときに使っていたことがわかりました。使いやすいように作られていてすごいなと思いました。
 他には黒曜石でできた矢じりが見つかったとのことでした。黒曜石は別名「火山ガラス」と呼ばれ、長野などでたくさんとれていたそうです。長野と近くの地域で物々交換が行われ、それが繰り返されて千葉に来たのではないかとも推測されています。ちなみに千葉の縄文人は魚や貝をたくさんとっていたようです。物々交換で千葉付近の縄文人が渡していたものは、海でとれた貝だったのかもしれません。こうして他の地域との関係を深めていたのかもしれないと思い、感心しました。
 このように今回の川ノ上遺跡でもたくさんのことを学べました。もっと船橋の歴史や自然について知りたいので、次もこのような機会があればぜひ参加したいです。
(令和5年3月9日投稿)

川ノ上遺跡
(川ノ上遺跡)
縄文時代の石器や貝類
(縄文時代の石器や貝類 )

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