【子ども記者通信】前原小学校の約50年前(前原小学校 金成幸亮さん)

更新日:令和5(2023)年3月15日(水曜日)

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前原小子ども記者

 皆さんは約50年前、船橋市が、前原が、どんなところだったか知っていますか。僕は今回、49年前に前原小学校の子ども記者だった長谷川千寿子さんを取材しました。
 僕がまず一番におどろいたのは昔の前原小学校は2つに分かれていたということです。それは木造校舎と普通の校舎の2つで、1・3・5年生は木造校舎、2・4・6年生は普通の校舎だったといいます。木造校舎の方は、今の学校設備とは違って、くみ取り式のトイレで、長谷川さんはそのトイレが嫌で普通の校舎のトイレのほうにこっそり行っていたといいます。けれど2年生などと比べると背の高さが違ってばれてしまうので、一番上の6年生の階まで上がったという面白いエピソードも聞きました。
 ほとんどの女子が合奏部に入部していたため、昼休みは合奏の練習をしていて、合奏コンクールではよく1位を取っていたそうです。合奏の練習がない日は校庭の隅で、皆で流行りの歌を歌ったり、四角十といった鬼ごっこをしたりしていました。僕はいつも昼休みは外でドッジボールや鬼ごっこ、体育館ではバスケなどを友達とよくして遊んでいたので、やっぱり鬼ごっこは昔から続いているんだなぁと改めて感じました。
 次に学校の周りのことについて伺いました。前原小学校の周りには今、大きいマンションやショッピングモールが多くありますが、昔は畑が多く、ショッピングモールは新京成電鉄の車庫で駅の周りには何もなかったとのことでした。津田沼は栄えている方だったのでこれを聞いたときは信じられないと思い、とてもビックリしました。
 最後に僕は「僕が思い描く50年後の船橋の将来像」を語りました。長谷川さんは、49年前子ども記者だったときのアンケートで 「50年後、工場や団地を建てないで広場が多くある都市になっていてほしい」と書いていました。僕は「電線が地下に埋まり、街並みの景観が美しい、環境に優しい都市」と言いました。電線が地下に埋まることで景色がきれいになり、気持ち良く過ごせ、最近の課題である地球温暖化対策にも取り組んでくれるような都市がいいなと思ったからです。
 今と50年前では変わったところはたくさんありましたが、前原小学校の形はその名残が残っていたり、鬼ごっこなど昔から伝わる遊び、修学旅行は今と同じ日光東照宮など共通点もありました。
 今回の取材で、僕の通っている前原小学校と故郷である船橋市のことについてよく知ることができました。また機会があったら今度は50年後、自分がその時の子ども記者とお話をしたいなと思いました。皆さんもぜひ自分の住んでいる街の昔や歴史を調べてみてください。

(令和5年2月22日投稿)

インタビューの様子
(前原小学校で取材をしました)
アルバムを見せていただきました
(長谷川さんが小学生だったころの写真を見せていただきました!)
 

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