【子ども記者通信】行田海軍無線基地について(法典西小学校 村井 亮太さん)

更新日:令和4(2022)年6月23日(木曜日)

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法典西小子ども記者

 皆さんは行田公園が昔、海軍の無線基地だったことを知っていますか。ロシアによるウクライナ侵攻をふまえて、二度と戦争を起こしたくないと思い、船橋の行田海軍無線基地の歴史について考えてみようと思います。

 基地の始まりは日露戦争終了後、海軍行動範囲拡大に伴い、塚田村行田に無線基地が着工されたことです。一時はドイツの技術者が図面を焼却、帰国してしまい、開所に困難を極めましたが、なんとか1915年には開所式が行われました。関東大震災の時には、救援電波を出し多くの人の命を救いました。

 そんないい一面ももっている基地ですが、太平洋戦争幕開けとなる真珠湾攻撃の際に、「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という電波を攻撃部隊に発しました。その後、船橋のシンボルになりながらも1971年に解体されました。戦争への良くない行いもありましたが、現在は公園となりしっかりと教訓を後世へ伝えられているのではないかと思います。今回調べてみて、この基地は救援電波で人々を救いましたが、真珠湾攻撃の際は攻撃電波を出し、多くの人の命を奪いました。やはり道具は使い方を間違えるととり返しのつかないことになってしまうことを感じたとともに、改めて戦争を起こしたくないと強く思いました。

 僕は今、明治時代の歴史に興味を持っています。近所に戦争にゆかりのある行田公園があると聞き、調べたところ、こんなに奥深く歴史に登場していたのかと驚きました。

 皆さんにも、戦争という負の歴史から学んだ教訓を知ってもらいたいと思いました。行田公園にお立ち寄りの際は、ぜひ石碑をご覧ください。

(令和4年6月13日投稿)

船橋無線塔記念碑
(記念碑の前で歴史に思いをはせながら取材しました)

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