夏見地域の歴史

更新日:平成23(2011)年3月3日(木曜日)

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夏見地区は発掘された遺跡により、弥生時代から村が形成されていたことが知られている。

夏見という名称は、平安時代後期に伊勢神宮領の荘園、夏見御厨の中心であったことに由来する。

又、応長元年(1311)「船橋御厨六ヶ郷田数覚書写」(船橋大神宮旧蔵文書)に六郷の内の一郷として湊郷や宮本郷等とともに記載されている。

下って、戦国時代前期には夏見豊島氏が現長福寺に城郭を築き、支配していたと考えられている。江戸、幕末期の戊辰戦争では船橋も戦渦に巻き込まれ、夏見の薬王寺・長福寺ともに焼失した。

近代になり、千葉県ができると東夏見・西夏見・米ヶ崎は東葛飾郡となり、明治22年に市制町村制が施行され、八栄村となった。

昭和に入り、12年に八栄村・葛飾町・塚田村・法典村が合併し船橋市となったが、まだその頃は、ほとんど人家がなく、田畑や松林の広がる農村であった。18年に太平洋戦争で船橋市内の軍需工場が職住近接をねらいとして営団住宅の建設を進めることにより、住宅街となった。

戦後になり、各地に大型住宅団地の造成が始まり、夏見にも43年夏見台団地が作られた。その後、JR船橋駅北口や大型商業店舗に近いという利便性の高さから、戸建て住宅・集合住宅が増加している。それにより、地域内の人口も増加向にある。

地域の史跡

  • 薬王寺:西夏見の真言宗の寺。本尊は薬師如来(非公開)慶応4(1868)年の戊辰戦争で古文書は焼失。境内には元禄3(1690)の十九夜塔、幕末から明治にかけての教育者・鈴木白山の顕彰碑(筆子塚)がある。
  • 日枝神社:西夏見の鎮守。地元では、船橋大神宮の元宮と伝えられている。鳥居にかかるわらへびの頭が西の方角を向いているのは、ゆかりの深い伊勢神宮に尻を向けないためと言われています。
  • 長福寺:東夏見の曹洞宗の寺。縁起によると平安時代中期(10世紀末)の円融天皇の時代に本尊の聖観世音菩薩(市指定文化財、非公開)をまつった堂を営んだことに始まる。永禄年間(16世紀後半)に夏見加賀守政芳により再興、江戸時代には将軍の御朱印寺となる。戊辰戦争で焼失。聖観世音菩薩は平成2年の解体修理によって胎内銘が発見され、天文5(1537)年の作と判明。本堂右奥には戦国時代の城砦址と言われる土塁が残っている。

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夏見公民館

〒273-0865千葉県船橋市夏見2-29-1

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