飯山満ってどんなところ?

更新日:令和3(2021)年6月28日(月曜日)

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歴史

江戸時代は上飯山満村と下飯山満村に区分されており、中野木は上飯山満の中に含まれていた。明治22年に二宮村が誕生し、二村はその大字となった。
二宮村は昭和3年に町になり、昭和28年に二宮町が船橋市に合併して昭和30年に新町名が設定されたとき、上飯山満本郷が飯山満町3丁目、上飯山満高野が飯山満町2丁目となり、下飯山満が飯山満町1丁目となった。
昭和50年12月に住居表示が施行され、飯山満町1丁目から3丁目の各一部にかけて「芝山」となった。

地勢

高低差が激しく、飯山満川や前原川(海老川水系)が流れていて低地には谷津田(丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形。また、そのような地形を利用した農業とそれに付随する生態系を指すこともある)が盛んに営まれていたが、戦後の開発に伴い住宅が多く建てられ、かつての姿は想像できない。また、斜面林が多く残されており、宅地化が進んでいるこの地域の景観に寄与している。

由来

地名は江戸時代にあった上・下飯山満(かみ・しもはさま)に由来する。市内における難読地名のひとつである。
この地域は深田のため、子どもたちに「帽子が田んぼに落ちても絶対に取りに入ってはならぬ」と言ったほどで、大人でも一度はまるとなかなか抜け出せなかったそうである。
「飯山満」の語源については、「米(飯)が山ほどできて満ちた土地」からついたという伝えがあるが、実際には「谷あいの場所:狭間(はざま)」からついたものであると考えられている。
古くからの住人を中心に「はざま」と濁点付きで呼ぶ人も多く、町内の店舗や企業の営業所などの看板に「はざま」「HAZAMA」との表記がされているものも散見される。

主な集合住宅

芝山団地は、昭和52年3月、当時の日本住宅公団が建設し、賃貸1,652戸、分譲が592戸。芝山団地造成当時は、交通手段がバスのみで「陸の孤島」と呼ばれていた時期もあったが、近年、東葉高速鉄道が開通し利便性が上がった。

文化財

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寺院・神社・史跡

(1)金毘羅神社(七林町)

金毘羅神社1金毘羅神社2金毘羅神社3
金毘羅神社(七林町)

安産・子育を願ったものと伝えられている。大師堂には弘法大師座像が安置され、吉橋組大師講の八十五番札所になっている。

(2)倶利伽羅不動尊(現3丁目)

倶利加羅不動尊
倶利加羅不動尊(現3丁目)

不動堂の下の谷頭は現在も湧水が見られるが、かつては小滝であった。そこが行者等の修行場となり、石の倶利伽羅不動が造立された。江戸時代には飯山満不動尊といわれた。

(3)王子神社(現3丁目)

王子神社
王子神社(現3丁目)

本郷集落の鎮守社で、大国主之命(オオクニヌシノミコト)を祭神に祀った。

(4)光明寺(現3丁目)

光明寺1光明寺2
光明寺(現3丁目)

真言宗豊山派。本尊は阿弥陀如来。

(5)大宮神社(現2丁目の鎮守)

大宮神社
大宮神社(現2丁目の鎮守)

昔から蛇が多く里人を苦しめたので祭神に須佐之命(スサノオノミコト)を祀ったと伝えられる。1月7日、10月23日に神楽を奉納。

(6)東福寺(現2丁目)

東福寺
東福寺(現2丁目)

江戸時代の開山といわれる。医王山東福寺といい、真言宗豊山派の寺。本尊は薬師如来。明治6年(1873年)飯山満尋常小学校の開校時に仮校舎として本堂が使用された。

(7)馬頭観音(現2丁目)

馬頭観音
馬頭観音(現2丁目)

寛延元年(1748年)に建てられた。馬頭観音は本来は動物の馬の守護仏ではないが、江戸時代後期以後は愛馬の墓碑として盛んに造立されるようになった。

(8)阿弥陀山清房院(現2丁目)

阿弥陀山清房院
阿弥陀山清房院(現2丁目)

昭和44年に千代姫の故事と太平洋戦争の戦死者の霊を慰めるために建てられた。

(9)庚申塚(現2丁目)

庚申塚
庚申塚(現2丁目)

文政11年(1828年)の馬頭観音、万延元年(1860年)の二十三夜塔および庚申塔、明治13年(1880年)の出羽三山供養塔が建てられている。

(10)薬師堂(現2丁目)

薬師堂1薬師堂2
薬師堂(現2丁目)

三尊種子が一基祠に納められている。境内墓地は慶安、万治、延宝といった江戸時代の墓が多く、古くから行われた両墓制(参り墓と埋め墓と分ける)を見ることができる。江戸時代中頃の名主総代をつとめた近藤五兵衛家の墓もあります。

(11)ゆるぎ地蔵(現2丁目)

ゆるぎ地蔵
ゆるぎ地蔵(現2丁目)

巨大な松から刻んだ木造地蔵菩薩坐像。享保8年(1723年)、木喰僧観信(かんしん)の作と伝えられているが、専門仏師作という説もある。

(12)東葉高等学校正門(現2丁目)(旧近藤家住宅長屋門)

東葉高等学校正門
東葉高等学校正門(現2丁目)

近藤家は江戸時代の上飯山満村において名主総代を務めていた豪農。江戸時代末期には幕府の牧士(幕府の役人の配下として、牧場の維持管理を任せられ、乗馬・帯刀などを許される農村においては最も身分の高い存在)にも任じられている。
桁行11間2尺(約20.6メートル)、梁行2間半(約4.5メートル)。腰は彫子下見、上部を白漆喰塗とし、正面と背面にせがいをつけ、桟瓦葺の寄棟屋根をのせている。築造年代がわかるものは残されていないが、造りなどから明治時代中期頃に建てられたと推定される。
東葉高等学校が近藤家屋敷跡に建設されるのにあわせて修復され、現在「東葉門」の名称で同校の正門として活用されている。(国登録有形文化財)

(13)子神社(現1丁目)

子神社
子神社(現1丁目)

小川藤右衛門が祀った神社で婦人病治癒に効験のある神様として信仰をあつめた。

(14)大日塚(現1丁目)

大日塚
大日塚(現1丁目)

一見、古墳のように見えるは方型の塚で、上に出羽三山塔が五基並んでいる。そのうちの大日如来像を彫った塔は元禄13年の造立で、市内最古の出羽三山塔である。

(15)神明神社(現1丁目の鎮守)

神明神社
神明神社(現1丁目の鎮守)

祭神は天照大神。境内に神楽殿があり、年に2度(初午と10月18日)、神楽が奉納される。

(16)能満寺(現1丁目)

能満寺
能満寺(現1丁目)

真言宗豊山派の寺。薬師堂や力石、門前には六地蔵などが置かれている。八十八ヶ所札所大絵馬が奉納されている。

伝統文化行事

神明神社「神楽」

3月初午(夜)と10月18日の例祭(夜)で奉納される。

大宮神社「神楽」

1月7日七草(夜)と10月23日の例祭(夜)、境内の神楽殿で奉納される。

国登録文化財

東葉高等学校正門(旧近藤家住宅長屋門)(登録有形文化財)

市指定文化財

  • 木造地蔵菩薩坐像(有彫)…現2丁目
  • 板碑(いたび)(康永4年2月在銘)(有考)…光明寺(現3丁目) ※現在非公開
  • 八十八ヶ所札所大絵馬(有民)…能満寺(現1丁目)
  • 飯山満町大宮神社の神楽(無民)…大宮神社(現2丁目)

※文化財等に関するお問い合わせは、文化課へ

地域の学校

中学校

  • 船橋市立飯山満中学校(現1丁目)

小学校

  • 船橋市立飯山満小学校(現3丁目)
  • 船橋市立飯山満南小学校(現1丁目)

周辺の医療機関

  • 船橋整形外科病院(現1丁目)
  • 医療法人同和会千葉病院(現2丁目)
  • 船橋中央眼科(現1丁目)

周辺の福祉施設

  • 船橋市ケア・リハビリセンター(現2丁目)
  • 社会福祉法人清和会特別養護老人ホーム
  • ワールドナーシングホーム(現2丁目)
  • 社会福祉法人清和会特別養護老人ホーム
  • 第2ワールドナーシングホーム(現2丁目)
  • ケアハウス市立船橋長寿園(現2丁目)
  • 船橋市東部在宅介護支援センター
  • 介護老人保健施設フェルマータ船橋(現1丁目)
     

このページについてのご意見・お問い合わせ

飯山満公民館

〒274-0822千葉県船橋市飯山満町1-950-3

受付時間:午前9時から午後5時(開館は午後9時30分まで) 休業日:原則毎月の最終月曜日(最終月曜日が28日にあたる場合は、21日を休館日とする)・祝休日(祝日が日曜日と重なる場合は、日曜日は開館し、翌日の月曜日は休館とする)・12月29日から1月3日