沿革と豆知識

更新日:令和元(2019)年8月6日(火曜日)

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沿革

駅前の写真

東部公民館は、JR総武線津田沼駅前に位置し、習志野市との境界をなしている。駅前周辺は区画整理事業によって大型店・都市銀行等の企業が相次いで進出した結果、より近代的な商業都市に変貌した。
 

建設中の写真

昭和28年、船橋市公民館前原分館として設立し、昭和35年の機構改革により「東部公民館」と改称した。昭和52年4月津田沼駅前の区画整理事業により現在地に新築開館した。

公民館データ

平成31年4月1日現在
エリア 面積 世帯数 人口 利用者数
船橋市 85,640 302,833 640,019 320,009 320,010 2,075,128
東部公民館 前原東、前原西、中野木 3,042 22,867 45,898 23,283 22,615 111,647

地名の由来

前原(まえばら)

 今から三三四年前の延宝二年、下野牧に続く広い芝地であったこの地に、新田が開かれて、前原という地名が世に登場しました。もちろん、それ以前からこの辺りは、前原と呼ばれた地域であったと思われます。

前原
地蔵菩薩蔵


 『前原』と云う地名は全国あちこちにある地名で、滋賀県の米原も以前は前原であったとも言われます。この地が前原と呼ばれたわけは、飯山満のほうから見て「前の原」だったことによると思われます。地名の中で「前」という言葉は主に「南」を意味するであることが多いのです。しかし札場の辺りはすでに豪族が住んでいたという伝承もありますし、南にあった「庄治が池」はそのことを伝えているようです。また、当初前原新田は現在の津田沼駅周辺も含んでいましたが谷津や久ゝ田との入会地として三〇町を渡したといわれます。ですからこの辺りは「三十町」という小字でした。
 新京成前原駅近くの道入庵(お堂)には、新田開設の頃の話を刻んだ地蔵菩薩蔵があります。

中野木(なかのき)

 中野木は北側を前原川、南側を中野木川に挟まれた東西に細長い台地で、古くからの集落は南側の台地の麓に一列に並んでいます。そのために、国道には中野木入口というバス停があるのに、村はどこにも見えないという事がありました。中野木の起源はよく分かっていません。おそらく、上飯山満(今の飯山満二・三丁目)の出作地であったらしく、関係の深いところを見ることが出来ます。この事は江戸時代の文書や地図を見ると中野木という地名が出ていなかったり、あるいは出ていたりすることからわかります。
 中野木の「中」は飯山満と南の前原の間という意味でしょう。「野木」は二つの意味で考えられます。
一つは半島状に西へ伸びた台地の形をさしているという見方です。二つ目は野木はヌキのなまったもので、がけの地形をいうという説もあります。三つ目はノガタつまり、野のあるほうあるいは台地を開墾したところという言葉からなまったというわけです。地名語源辞典には、船橋では村落をさしているという説明があります。
(文章:地名研究会滝口昭二氏)

「中野木の辻切り」(船橋市無形民俗文化財)

中野木の辻切り
本殿前に据えられた大蛇右が雄左が雌

 中野木一丁目にある八坂神社の辻切りをご存知でしょうか。
 辻切りは悪霊や悪疫が村内に入って来ないように願う行事で、毎年2月の初午に行われています。
 鎮守の八坂神社に集まって来た皆さんは、まず、自分の家に飾る蛇を作ります。その後東西2組に分かれ、大蛇を一体ずつ製作します。完成すると長さ5m程になる大蛇は本殿前にとぐろを巻き、向かい合わせに据えられ、お神酒を飲ませます。直会(なおらい)のあと、東西それぞれ4~5人で大蛇をかかえ、飾る場所に向かいます。途中で分かれるときに二匹の大蛇は口を合わせます。その後集落の南西と北東の道路脇の木立に巻きつけて終了です。中野木へ行くことがありましたら、一年間この村を守っていく大蛇を、是非一度見に行ってみてはいかがでしょうか。それぞれのお宅の門先の小さな大蛇も素敵です。

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東部公民館

〒274-0825千葉県船橋市前原西2-21-21(津田沼連絡所)

受付時間:午前9時から午後5時(開館は午後9時30分まで) 休業日:原則毎月最終月曜日・祝休日・12月29日から1月3日

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